「ひとりぼっちを笑うな」

tetu-eng2016-05-01

「ひとりぼっちを笑うな」
蛭子 能収
角川新書
2015年10月5日第14刷

GWです。
GWというのは、映画業界のネーミングだそうです。そのため、NHKでは、大型連休というそうです。意識して、NHKニュースを見ていると、たしかに「大型連休」といっています。GWで定着しているのに、商業化と一線を画すNHKの面白さですね。

5月2日(月)と6日(金)を休むと10連休です。ぼくは、カレンダーどおりの予定です。まあ、みんなが休んで、仕事にはならないのは解っていますが、電話番みたいなものですね。それで、すこしお役に立てればそれでいいじゃない。ぼくの性分でしょうか?

我が家は、細君が東京へ行ったので、一人と一匹のGWのスタートです。東京にいる息子が6日に休めるらしいので、息子と一緒に帰ってくるらしいです。

「ひとりぼっちを笑うな」って、蛭子さんのファンというわけではありませんが、この新書、ベストセラーになっています。

最近、テレビのバラエティーで蛭子さんを見ることが多いですが、独特のキャラクターが受けているのでしょ。そこには、彼の独特の人生観があるのですね。とかく「群れる」世の中で、「ひとりぼっち笑うな」って、どういうことかな?

『とにかく僕、蛭子能収は、誰かに束縛されたり、自由を脅かされることがなによりも大嫌い。誰もが自由に意見できる世の中こそが、一番いいと思っているから、人は、自由でいることが一番いいと思う。もっと言えば自由であるべきだと思っている。
そのためには「群れ」のなかに、自分の身を置いてはいけません。なぜかって?それは無言の圧力を感じるのは、その人が、「群れ」の一員でいるからです。』

ぼくは、小学校、中学校は、入学した学校と卒業した学校が違うので、いわゆる「幼友達」がいません。高校、大学の友人も、関西には居ないので、今、友人と言えるのは、会社でのつながりだけです。

そのため、グループと言えるようなつながりは、会社の同期生ぐらいでしょうか。今から、リタイアして、会社とのつながりが希薄になると、このグループも、疎遠になるでしょう。「群れ」たくても、つながりがなくなると「群れ」ることはできません。

所詮、ひとは、「ひとりぼっち」なんじゃないですか。でも、「孤独」と「ひとりぼっち」は、ちょっと違うような気もします。「ひとりぼっち」は、明るくて、ポジティブですが、「孤独」は暗くて、ネガティブですね。「孤独」は、嫌だけど、「ひとりぼっち」は、そりゃ、みんなそうでしょう。

最近、腰痛の湯治を兼ねて、近くの「なでしこの湯」行きます。温泉に入っているときは、「ひとりぼっち」ですが、それを「孤独」とは言わないでしょう。そんなイメージかな?蛭子さんは、自分を孤独愛好家のように書いていますが、「ひとりぼっち」を愉しんでいるから、「孤独」ではないと思います。

せいぜい、「なでしこの湯」に行って、「ひとりぼっち」を愉しみましょう。そして、やがて、もうすぐ訪れる本格的な「ひとりぼっち」を笑われないようにしましょう。