「コンビニ人間」

tetu-eng2016-08-21

コンビニ人間
村田 紗耶香
文藝春秋9月号

先週は、「お盆休み」で失礼しました。

13日(土)に、お墓参りに行ってきました。まあ、毎年の行事とはいえ、暑かったですね。例年に比べると、今年は、気温は左程ではないのですが、湿度が高いように思えます。田舎の海峡の方面が、薄曇っているのは、水蒸気の所為ではないでしょうか?

例年は、カンカン照りで「太陽」が暑いって感じですが、今年は、ムンムンで「空気」が暑いって感じでしょうか?これって、ぼくだけですか?おまえの年の所為だといわれると、ちーと、さみしい気分ですね。まあ、馬齢を重ねるのは、生きている証拠です。

さて、これも毎年ですが、ちょうど、この時期に芥川賞直木賞の発表があり、文藝春秋9月号に芥川賞が掲載されます。ちょうど、というのは、新幹線での行き帰りで、それを読むのがちょうどいいということです。今年も、往復の乗車時間約4時間で、「コンビニ人間」を完読することができました。

小説というものは、おもしろいと、時間を忘れて、かつ、一気呵成に読みすすむものです。おもしろくないと、ちーとも、読みすすまないし、時間もすぎない。「コンビニ人間」は、4時間で読破したということは、はい、おもしろかった、ということです。

コンビニエンスストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。定員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音。パンの袋が握られる音に店内を歩き回るヒールの音。全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。』

私は、子供のころから、風変わりなところがあった。たとえば、ほかの子供は小鳥をかわいいというが、私は、小鳥を焼き鳥にしてお父さんに食べさせたいと思った。だって、お父さんは焼き鳥が大好きだった。そんな私をふつうの子供に育てるため、両親は、私に愛情を注いだ。お医者さんからそうするようにというアドバイスでした。

私はできるだけ普通の子供になろうとした。そのために、ほかの人との交流を控えめにしていた。そうすると、ほかの人とのトラブルも少なくなり、両親は私がふつうの子供になったと喜んだ。大学1年の時、私は、コンビニエンスストアのアルバイトをはじめて、それから、18年、私は、同じお店でアルバイトとして働きながら生計を立てている。

結婚しないで、コンビニで、バイト生活をしていたら、普通の人ではなくなる。普通の人の「ムラ」に入れない人は、普通の人ではない。社会は、それを常識という。そして、「ムラ」に入れない異端者を特別な目で見る。区別をしたがる。

『コンビニを辞めてから、私は朝何時に起きればいいのかわからなくなり、眠くなったら眠り、起きたらご飯を食べる生活だった。
何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなっていた。今までは、働いていない時間も、私の身体はコンビニのものだった。健康的に働くために眠り、体調を整え、栄養を摂る。それも私の仕事のうちだった。』

ぼくは、「会社人間」です。おそらく、会社を辞めたら、「何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなる」でしょう。それは、普通の人でしょう。「コンビニ人間」は、読者の所属する「ムラ」によって、読後感が変わってくるではないでしょか?