「地下鉄(メトロ)に乗って」 

tetu-eng2016-10-10

地下鉄(メトロ)に乗って
 浅田 次郎
 講談社文庫
 2006年1月12日第25刷発行

浅田次郎の初期の小説です。1995年に、吉川英治新人賞を受賞しているらしいので、もう、20年以上前です。
20年前、ぼくは、43歳。平成7年。あっ、阪神淡路大震災の年です。その年の夏に、東京から神戸に転勤になり、家族ぐるみで転居しました。まだ、震災の傷跡が、生々しく残っていました。子供は、小学校1年生。

その年、亡き父と母が、サンフラワーで神戸に遊びに来た記憶があります。ホテルオークラで食事をして、明石海峡大橋の建設現場を見下ろすタワーに乗って、「すごいね」と、はしゃいだものです。

思い出づくりと言っていましたが、10年後に父が亡くなり、17年後には母が亡くなりました。

亡き父と母は、思い出づくりができたのでしょうか?ぼくは、故郷から遠く離れていることを理由にして、亡き父と母の思い出づくりに、協力してやれなかった。そう、思います。その頃に、タイムトリップして、ともに、思い出づくりをしてみたい。でも、それは適わないことです。

この文庫本の解説に、吉野仁さんが、こう綴っています。

『幸せとは、懐かしさのなかにあるのではないか、ときおり、そう感じる。』

楽しかったこと、面白かったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、みんな、みんな懐かしかったことなのでしょう。とくに、悲しかったこと、苦しかったことの方が、懐かしい。それは、生きてきた証左なのかもしれません。

ぼくに、これからの与えられた時間は、できれば楽しいこと、面白いことのほうがいいに決まっている。でも、『禍福は糾える縄の如し』なのでしょう。

あっ、今、気がつきましたが、なんて、ぼくは、バカだったのだろう。20年前の思い出づくりとは、ぼくのための思い出づくりだったのです。ぼくは、「20年まえの懐かしさ」を亡き父と母からプレゼントされていたのです。

そんなことを考えさせる「地下鉄(メトロ)に乗って」です。

『かげろうの羽を透かし見たような、不確かな夕闇の中を、人々は家路についていた。街路樹は焼け枯れているのに、どこから飛んでくるのか乾いた枯葉が、からからと足元を転げて行った。』

小説家というものは、情景描写を斯くも言葉で表現する存在ですね。「夕闇」を「かげろうの羽を透かし見たような、不確か」と表現することは、どうして浮かんでくるのでしょうか?「乾いた枯葉」と、「からからと」が、面白くマッチングしている。

ぼくは、この小説のこのワンフレーズに浅田次郎のすごさを見ました。

小説は、地下鉄の中からタイムトリップして、兄の自殺の真相に迫り、ワンマンで一代で財をなした父親の過去を垣間見るというストーリーですが、まさに、浅田ワールドを存分に楽しませてくれる作品です。

この小説を読むと、「懐かしさ」という情念をしみじみと感じさせてくれます。おすすめです。ぜひ、読んでみて下さい。そして、あなたも、タイムトリップしてみて下さい。