「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

tetu-eng2017-02-12

ぼくは明日、昨日のきみとデートする」 
七月 隆文
宝島社文庫
2016年9月21日第22刷発行

「2015年 10代〜20代女性が読んだ文庫本 第一位」らしいです。

たまには、若い女性が好む本を読んでみないと、世の中から置き去りになってしまいます。って、今更、その必要はないでしょうか?おじさんが、無理して若者に媚びることはないのでしょうが、読書も、いつも同じパターンだと飽きてしまうので、ちょいと、スパイスを効かすことが必要でしょう。脳内活性化のために。

余談ですが、最近、文部科学省を舞台とした公務員の天下り問題が話題となっています。公務員の天下り問題は、昔から、もぐら叩きのように、10年に一度ぐらいの頻度で出てきますよね。そのたびに、天下り抑制のための閣議決定国家公務員法の改正などで、対応していますが、所詮、「ざる法」と揶揄されています。

そもそも、「天下り」って何でしょう。江戸時代は、士農工商という身分制度があり、武士が商人に「天下る」ことは稀有なことだったでしょう。逆に、江戸末期になると、商人が御家人株を買って武士になるという「天上がり」は頻繁にあったらしいです。

明治以降、高等文官試験などの公務員採用制度により官僚システムが構築され、官僚が世襲ではなくなったため、官僚は、退職後の生活の安定のため、民間に職を求めるようになったらしいです。したがって、「天下り」の歴史は、明治以降、130年程度なのです。

それでは、なぜ「天下り」が悪いのか?一言で言えば、「官民癒着」により血税が恣意的に使われるということでしょう。ならば、天下ってもいいけれど、癒着はダメよということで、官民癒着防止法を制定して、官民癒着捜査機関を設置し、違反したら、法人罰、個人罰を科したらどうでしょうか?グッド・アイデアかも??

『「ぼくは南山、南山高寿」
「わたしは、福寿愛美です。」
駅からすぐの国道らしき道を渡りながら、ぼくたちは自己紹介をはじめた。
「ふくじゅ?どう書くの?」
「福笑いの福に、寿です」
福笑いのくだりはいじるべきか一瞬迷ったけど、
「えっ?」
「ぼくの高寿の「とし」が、寿なんだ」
「そうなんですか」
「偶然だよね」』

こうして、高寿と愛美の恋が始まりました。高寿は、イラストの勉強をしている芸術大学の学生。愛美は、美容師の専門学校の学生。絵に描いたようなカップル。当たり前か、これは、恋愛小説です。二人は、京都の市内でのデートを繰り返しながら、青春を謳歌しています。

愛美は、いまどきの女性には珍しく、携帯電話を持っていない。門限は、0時00分。まるで、シンデレラのような女の子。そう、愛美には、とんでもない秘密が隠されていました。

『愛美のカーディガンの肩に、しんとした音の粒が落ちてにじんでいく錯覚。
その粒を震わすように、口を開いた。
「高寿は、この世界の隣に別の世界がある・・・・って言ったら、どう思う?」
「・・・・・・・」
パラレルワールド的なことだろうか。ちょっとでも物理の話や、マンガをある程度読んでいる人なら馴染んだ説だ。ぼくは・・・・・・
「あるかもしれないなって、思うよ?」
「わたしはそこから来たの」
「えっ?」
「わたしは、この世界の隣の世界の住人で、そこから来ているの」
ぼくの心の中が、静かに、嵐のように騒ぐ。』

「いま、会いに行きます」の恋愛バージョンみたいですね。小説家は、似たようなシチュエーションで、視座を替えて、物語を創作するものです。