「黒書院の六兵衛 上・下」

tetu-eng2017-03-26

「黒書院の六兵衛 上・下」 
浅田 次郎
2017年1月10日第1刷発行
文春文庫

『「もしもし、○○議員の秘書の○○と申します。」
「はい、お世話になっています。」
「実は、××の件で、□□さんから、お話を聞いて欲しいという依頼がありまして、そちらで、お話を聞いていただけますか?」
「○○先生のご紹介なので、お話は聞かせていただきます。」』

なんて、遣り取りは、何度、経験したことだろうか?与党、野党を問わず、国会議員、地方議員からの口利きは、行政などにとっては、日常茶飯事です。そもそも、国民の声を拾い上げて、行政などへの橋渡しをするのは、議員の皆さんのお仕事の一つでしょう。「口利き」というと悪いイメージですが、国民の声を届ける役割もあると思います。

森友学園問題」が世間をにぎわしていますが、その話題の一つが、政治家が金を貰ったのではなく、政治家が寄付した・・・していないという「いい合い」になっているということです。奇妙な話です。そんなのどっちでもいいと思うのですが??この程度の話で、一国の総理の言うことと、胡散臭い関西のおじさんの言うことと、どちらを信じますか?国会で、ドタバタする必要はないでしょう。

本題は、国有地の8億円の値引きが適正だったか否かでしょう。これが、適正な値引きなら、まったく問題ないのに、なぜ、この議論を置き去りにしているのか?政治家も、マスコミも、どうかしちゃいませんか?森友学園の周辺地も、同じように値引きしていたらしいですが、これも含めて、適正な国有地の売却であったかを検証する必要があるでしょう。

仮に、不適当ならば、なぜ、不適当な価格になったのか?この検証が必要になります。議論の順番が違うように思えます。

余談は以上です。

時は、幕末。江戸城の明け渡しのとき。御書院番士の的矢六兵衛なるものが、江戸城の黒書院に鎮座してピクリとも動かず、いわゆる居座りを決め込みました。城明け渡しのお先手として送り込まれた尾張徳川の徒歩組頭の加倉井隼人は、ニッチモサッチモ動かない六兵衛に困り果てます。

力づくでも六兵衛を動かすことを躊躇する勝安房守。なぜ、力づくがダメなのか?無血開城にこだわる西郷隆盛。天朝様が、お入りになる城内を汚してはならない。すべて、納得詰めでなくてはならない。

西郷隆盛が厳に命じたのである。江戸城明け渡しの儀において、腕ずく力ずくは一切まかりならぬ、と。
熟々慮(つらつらおもんばか)ったあげく加倉井隼人はついに決心した。
西郷の真意に思い至ったのである。旧幕の旗本御家人に不満のなかろうはずがない。誰しもがかろうじてその不満をおしとどめているのだから、些細な悶着で一気に爆発するやもしれぬ。
ましてやこの西の丸御殿には、やがて天朝様が玉体をお運びになる。天照大神より一系に続く現人神のお住まいを血で穢すなど、恐くの至りである。』

なんとも奇妙なストーリですが、幕末に多くの旗本御家人が江戸にいながら、江戸城無血開城という事業を成し遂げるのは、突拍子もないことだったということです。不満分子は、上野の山に押し込める。誰が、設計したのか?この物語をとおして、江戸城無血開城の偉業を、あらためて、認識することができて、拍手でした。

それにしても、なぜ、六兵衛は、黒書院に居座ったのか?