「リバース」

tetu-eng2017-05-21

「リバース」 
湊 かなえ
2017年3月15日第1刷発行
講談社文庫

ナウ、金曜夜10時TBS系で放映中の連続ドラマの原作。小説を読んだので、ドラマは観ていません。サスペンスドラマで、結末が判っていたら、観ないでしょう。

『「深瀬和久は人殺しだ」
いきなり突き付けられた息の根を瞬時に止めてしまいそうな言葉を、どうにか受け止めることができたのは、今日一日の流れがここに収束するのではないかという予感が、胸の片隅に無意識のうちに芽生えていたからかもしれない。』

この一片の手紙は、深瀬(事務販売会社勤務)が付き合っている美穂子(パン屋)のアルバイト先に届いた。同じ内容の手紙は、大学のゼミの同窓生の浅見康介(高校教師)、村井隆明(建設会社勤務)、谷原康生にも届いていた。3人とも、もちろん「人殺し」と謗られる心当たりはないが・・・・共通の気になることが一つあった。

大学生活の最後、深瀬、浅見、村井の3人と同じゼミの同窓生である広沢由樹は、斑丘高原にキャンプに出かけたことがある。そのとき、広沢は、自動車事故で不幸な死を遂げた。嵐の夜、広沢は一人で、遅れてやってきた村井を迎えに行くために、不慣れな自動車で別荘を出発したが、その途中、崖から転落したのである。

なぜ、広沢を一人で行かせたか?深瀬、浅見、谷原は、それぞれ、後ろめたさがあるが、それが、「人殺し」か?村井が、迎えを強要しなければ・・・でも、それが「人殺し」か?4人の心は、この一通の手紙を巡って、ちれぢれに揺れ惑う。そして、「リバース(逆転)」。そして、「リバース(逆転)」。

そんなサスペンス小説ですが、主人公の深瀬は、幼い頃から友人関係に悩んでいた。この小説では、つねに、友人とはなにか?という命題が、手紙の届いた4人の友人関係の中で、問いかけられている。夏目漱石「こころ」、武者小路実篤「友情」、森鴎外「青年」などなど友人、友情は、永遠のテーマです。

『小学生の頃から、親友と呼べる友だちは一人もいなかった。もしも、友人の名前を五人挙げろという場面が生じたら、三人ほど、深瀬の名前を書く者はいたかもしれない。だが、一人だけ挙げろと言われたら、誰も深瀬の名前を書かなかっただろう。深瀬がたった一人挙げる人物は、五人中にも深瀬の名前を挙げていなかったかもしれない。』

さて、ここからが、本題です。

福沢諭吉は、晩年に「我に莫逆の友なし」とぼやいていたそうです。そもそも、友人とは、「ともだち」の漢語表現。「ともだちと」は、「一緒に何かをしたり遊んだりして、親しくつきあっている人」(「広辞苑」。

ぼくに、あなたに、「ともだち」はいますか?

しかも、双方向に「ともだち」と言い合える人がいますか?

ぼくには、いないでしょう。なぜか?えっ、みなさんには、いますか?この機会に、考えてみたら、福沢諭吉のように「ぼやき」の一つも出るかもしれません。そもそも、ぼくは、人付き合いが苦手な性格なのでしょう。そして、人からみたら、きっと、嫌味な性格なのでしょう。それじゃ、ぼくのことを「ともだち」と言ってくれるもの好きな人はいないでしょう。

所詮、人は、一人でしょう。ただし、細君と息子にとっては、ぼくは、夫であり、親であることは間違いないことです。それで、十分なのかもしれません。あとは、欲張りなのかもしれませんよ。福沢先生!