「若冲」

tetu-eng2017-07-17

若冲」 
澤田 瞳子
2017年4月10日第1刷発行
文春文庫

若冲」とは、伊藤若冲

最近、大人気の江戸中期の日本画の巨匠。あちらこちらで、展覧会が催されている広告を見ます。鮮やかな色使いと繊細な筆致で鑑賞する者をうならせる。といっても、ぼくは、本物を見たことがありません。
話は変わりますが・・・・

だいたい、ぼくは、物事が長続きしない。ポストカードに水彩画を描くという趣味は、10年ぐらい続けていたのですが、どうも、才能がないということをハッキリと自覚したのか、このところ、サッパリです。水彩画のお道具が、机の横で、寂しそうにほこりをかぶっています。

小さい頃から大学1年生ぐらいまで、お習字をやっていたのですが、どうも、才能がないということをハッキリと自覚したのか、これも、それからサッパリです。硯箱などのお習字のお道具が、今も、本箱の上で、寂しそうにほこりをかぶっています。ときたま、細君に不祝儀袋に書くことを依頼されて、登場するぐらいです。

いずれは、水彩もお習字も、もう一度、チャレンジしてみたいと思うのですが、どんなもんでしょうか?

今は、毎日、ウクレレを弾いていますが、これも、どうも才能がないということがウスラウスラと感じ始めています。
毎週のテニス・・・これに至っては、才能どころの話ではなく、まったく、運動音痴並みで、なぜ、15年以上も続いているのか、不思議としか言いようがありません。

そんなこんなで、何をやっても才能がないぼくですが、特段、才能を必要としない「本の虫」は、幼少の頃から続いています。だからって、何がどうしたというわけではありませんが、つまらない「雑学」を小説から仕入れているようです。

京都の青物問屋「枡源」の主人である源左衛門は、家業を弟に任せて、絵を描くことに没頭していた。

『ありとあらゆる生命が歌い、身を寄せ合うその地では、獅子は木の間で遊ぶ兎に眼を細め、栗鼠は空を翔る鷲に怯えもせず、光満つる野を駆け巡るであろう。
色とりどりの鳥たちが美しい声で囀(さえず)りながら枝々を飛び交い、青く広がる海を、猟虎(ラッコ)や海馬(かいば)が悠然と泳ぐ、番(つがい)の鶴が紅白の花群れ咲く野面に憩い、互いの羽をつくろい合う様までが、恐ろしく鮮明に思い浮かべられた。
(これは浄土や。そう、わしは浄土を描くんや)
鳥も花もすべて、生きることは美しく、同時に身震いを覚えるほど醜い。』

若冲の鴛鴦(おしどり)、鶏(にわとり)の画を観ながら、この一文を読んでみると、うむ、うむ、納得。若冲は、鮮やかな色彩で「浄土」を表現していたのです。なぜ、若冲は、「浄土」の表現にこだわったのか?それは、この小説を読んでください。ただし、あくまで、小説ですから、もちろん、小説家のフィクションのワールドですが・・・・。

若冲は、85歳という高齢で亡くなります。同じ時代を生きたビックネームには、池大雅与謝蕪村円山応挙、谷文晁など・・・歴史小説は、雑学の宝庫です