「政(まさ)と源(げん)」 

tetu-eng2017-08-26

「政(まさ)と源(げん)」
三浦 しをん
2017年6月27日第1刷発行
集英社オレンジ文庫

先週、暑い、暑い、と書いたが、

もっと、暑くなってしまった。残暑なんて、生易しい暑さではない。今、まさに盛夏か?と、思い間違うほどの暑さです。暑い暑いといったら、余計に暑くなる。なんていう人もいるけれども、確かに、お天道様に愚痴を言っても詮無いことは百も承知の介三郎。それでも、言わなければ納まらないのがこの世の情けです。

今週は、面白いこともなかったので、早速、読書雑感です。

三浦しをんさんは、好きな作家さんの一人です。この本は、単行本が発刊されたときから文庫本になるのは待ちわびていました。

有田国政と堀田源二郎。ともに七十三歳。東京は墨田区の下町で生まれ、育って七十三年。いわゆる幼友達です。国政は、おかたい銀行づとめを退職して、今は、悠々自適?でもないが、妻と娘に愛想をつかされた独居老人。源二郎は、つまみ簪の職人として、日々、簪作りに勤しんでいるが、妻に先立たれて生活は破天荒な独居老人。

ここで、注釈です。

※「花簪(花かんざし)・つまみ簪」とは、多数の小さな布を曲げながら花の形にはりあわせていく、「つまみ細工」という伝統的技法を用いてつくられた「かんざし」らしいです。かわいらしくボリューム感、立体感のある仕上がりから、京都の季節を飾る舞妓の花簪として用いられ、また七五三の髪飾りとしても人気があるらしいです。

そんな政(まさ)と源(げん)が、織り成す下町での暮らしは、なんだか、近い将来の自分自身と照らし合わせると、親近感が沸いてきます。とくに、妻が出て行ってしまった政(まさ)のさまざまな思いは、今、細君が長期出張中のぼくと妙に重なりあってしまいます。

『「俺が思うのはな」
源二郎は赤い実に視線を戻し、静かに言った。「死んだ人間が行くのは死後の世界なんかじゃなく、親しいひとの記憶のなかじゃないかってことだ。親父もおふくろもきょうだいも師匠もかみさんも、みんな俺のなかに入ってきた。たとえばおまえが先に死んでも、俺が死ぬまで、おまえは俺の記憶のなかにいるだろう。」
源二郎らしい考えかただ。国政は小さく微笑む。
「その説でいくと、ボケないように願わないとな」
「おきゃあがれ」
悪態をつく源二郎を見て、国政は今度こそ声を上げて笑った。
死んでも、親しいひとのなかに生きる。そうだな、源。それはいい考えだ。』

「政(まさ)と源(げん)」は、とっもに笑い、ともに酒を飲み、たまには(けっこう頻繁に)けんかをして、それでも、お互いを分かり合える幼友達。まさに、「莫逆の友」です。

以前に書いたが、僕には、幼友達がいない。そして、「政(まさ)と源(げん)」のような関係の友達もいない。こりゃ、きっと、寂しい老後の生活になりそうです。これも、ぼく自身の不徳の致すところ。今更、幼友達なんてできないし、どうしたものでしょう。