「ヘヴン」

tetu-eng2018-02-12

「ヘヴン」
川上 未映子
2012年5月15日第1刷
講談社文庫

いま、ぼくが憤慨しているのは、眞子さまの婚約問題です。

ヨーロッパ王室では、事実の如何を問わずスキャンダル的な報道は、ときどき見かけますが、わが国の皇室では、珍しいことです。今回の週刊誌の記事が事実かどうかはわかりませんが、明らかに、日本の社会での「権威」というものへの畏敬の念の欠如だと思います。

昨年、国会を騒がせた籠池なる人物もしかり。

目上の権威、親父の権威、教師の権威、国会議員の権威、総理大臣の権威、社長の権威、皇室の権威・・・・・もろもろ、軽重はあるかもしれませんが、「権威」というものが、ややもすれば軽視されています。「権威」を振りかざすと、なぜか戦前のファッショ的に考えてしまう。日本は、まだ、思想的には戦争の呪縛から解き放たれていないのでは?と、思うこともあります。

眞子さまの婚約問題に戻すと、識者いわく「婚姻は両性の合意」に基づくものであり、周りがとやかく言う筋合いではない。「お馬鹿を言うな」と言ってやりたい。眞子さまのお相手は、将来、天皇陛下の義理の叔父さんになるのです。慎重の上に、慎重であるべきでしょう。

それは、「権威」という目に見えないものを大切にするということです。それは、「道徳」に通ずると、ぼくは考えるのです。もっと、ストレートに書きたいところではなるが、不敬になってもいけませんし、推測で書くのも如何なので、ぼんやりと、「権威(Authority)」について考えてみました。

以上、余談でした。

川上未映子さんが、「乳と卵」で芥川賞を受賞したのは、2008年。その衝撃的なタイトルに世間は驚かされたものです。あれから、もう10年も過ぎたのですね。その間、「すべて真夜中の恋人たち」という恋愛小説で、少し、路線を変えたのかなと思っていたら、「ヘヴン」では、やはり、川上未映子を遺憾なく発揮していました。もともと、多作な作家ではありませんが、この「ヘヴン」という作品は、読んでいる途中で「嫌悪感」を抱かせるような小説になっています。

事実、途中で読むのを止めようかと思ったほどです。その「嫌悪感」はないか?それは、「ヘヴン」を読んでみたら、あなたも、ぼくと同じ感触、感想を持つことだと思います。

『「君は斜視のせいでわたしとおなじようにまわりからひどい目に遭っていて、つらいことだけれどでもそれがいまの君っていう人をつくっているってこともたしかだと思うの。どちらかが欠けても、いまの状態はなかったと思うんだよ。だから君の気持ちは誰よりもわかるはずだし、君だってわたしの気持ちを誰よりもわかってくれるだろうって、そう思ったの。そしてそれは、わたしの勘違いじゃなかった。ちゃんと会いに来てくれた。君は人の気持ちがわかる、本当に優しい人なんだとわたしは思う。傷つけられてばかりだったから、人が傷つくってことがどんなことなのかが本当によくわかっているんだよ。わたしだって、君にくらべたら、たいしたことないかもしれないけど、それでも君の気持ちは少しは・・・・・ううん、たぶん誰より、わかるつもりでいるもの」』

「いじめ」をテーマにした小説は、いろいろ読みましたが、これほど、何と表現すればいいのか、いじめられる者、いじめる者の内面を抉り出した作品は初めてです。とくに、いじめる者の「いじめの論理」・・・いじめに論理などはないのだが、・・・・川上未映子流論理には、驚かされます。というか、これまた、衝撃的でした。

やはり。「権威」と「道徳」の問題かな。