「1R1分34秒」

「1R1分34秒」
 町屋 良平
 文藝春秋3月号

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第160回芥川賞に選ばれた2作品のうち、先週、「ニムロッド」を紹介しました。今週は、「1R1分34秒」です。最近、2作品の選定が多いかな?と、思って調べてみたら、過去10年間で6回もありました。上期と下期と年2回あるので、20回のうち6回なので3割。ついでに、その前の10年を調べてみると、4回、さらに、ついでに、その前の10年を調べてみると、6回。ということで、2作品受賞は珍しいことではないということが解りました。

人の感覚というものは、このように当てにならないものです。したがって、「統計」というものは、客観的に数字化できるので、万人が納得できるエビデンスです。いわば、民主主義の根幹をなすものといえると思います。遠まわしに話が進みましたが、「勤労者統計月報」などの国の基幹統計の信用性が問題になっています。

そもそも、「統計方法の報告に改ざんはあったが、意図的ではない。」なんて、国会答弁がおかしい。なんと、弁解しようと、統計に不備があったことは否めない。統計・・・会社の決算も同じ・・・は、同じ手法で実施しないと、数値の変化を認識することができない。途中で、手法を変えてしまうと統計の継続性が失われてしまいます。企業会計原則にも重要な原則として、継続性の原則があるのは周知のことです。

ところが、役所では、統計部門は、いわば閑職であることが多いいという一面があります。やはり、花形は政策部門であり、許認可部門で、統計部門は人気がないというのが「ほんと」らしいです。その風潮は、やがて、チェック機能の働かない部門となっていきます。それは、国会でも同じです。決算委員会なんて、だれも希望しない。しかし、企業では、決算が経営者の成績表であり、その部門は重要なポジションです。

国の会計が、予算主義から決算主義に変わっていくとき、「統計」も為政者の成績表であることが、再認識されるのではないでしょうか?

芥川賞から脱線してしまいました。いつものことですが・・・?

「1R1分34秒」のタイトルから、これは、ボクサーがモデルであることは、推測のとおりです。4回戦ボーイの「ぼく」は、初戦KOで華々しく勝ってから、二敗一分けと負け込んでいる。今日の相手は、「青志くん」。しかし、3RでKO負け。この敗戦を引きずりながら、ボクシングのトレーニングを重ねます。

『「おまえは死力を尽くしたか?」
「最後の最後までいっこのボクサーを遂げたのか?」
「さいごのダウンで、おまえはほんとうに立てなかったのか?ほんとうには立てたんじゃないか?」
「奇跡の大逆転は、ほんとうにありえない未来だったのか?」』

5戦目に向けてトレーナーが交代。新しいトレーナーの「ウメキチ」の指導を受けながら、反発しながら、つねに、心の葛藤に向き合いつつ、トレーニングを続けます。

ついに、試合相手の「心くん」が決まり、5回戦へのカウントダウン。減量が始まりました。ボクサーとしての最大の難関。「ぼく」は苦しみます。その苦悩が、とんでもないリアルに描写されています。

「ニムロッド」と「1R1分34秒」は、ともに読ませる小説でした。ただし、ぼくは、「1R1分34秒」をお薦めします。