「あの家に暮らす四人の女」

「あの家に暮らす四人の女」
 三浦 しをん
 2018年9月15日7刷発行
 中公文庫

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すっかり、春めいたと思えば、また、冷たい風が吹き、「春に三日の晴れはなし」とは「気象ことわざ」らしいです。今年は、花粉のとびが遅いのか早いのか?多いいのか普通なのか?やたらと、目が「かゆい!」のです。目薬は、「ヒアレイン」という涙由来のものを使用して、目を洗い流すのがいいらしい・・・ということで、それを実行していますが、いいみたいです。

それよりも、最近、ぼくを悩ましているが、「口内炎」です。口内の奥の方、ほぼ喉の入り口に「ポッチ」となにかできて、「プヨプヨ」になって、そのうち、なくなって、また、できる。その繰り返しです。都合が良いのか悪いのか、お医者さんに診てもらうときには、なくなっちゃうのですよ。

先週、肺炎ブドウ球菌予防接種に内科に行ったとき。「どこか、気になることある?」「えっ、口内炎ができてるみたい」「ふむ、口内炎があっても、予防接種はできるけどね。どれどれ」 あ~ん!「うむ、どこ?」「口の奥!」「ないね~」「えっ、そうですか?」「気になるようだと、耳鼻科に行きなさい。」「予防接種しとくよ!」「はい。」

今週、花粉症の薬を貰いに耳鼻科に行ったとき。「口内炎ができてるみたい」「どれどれ!どこ?」「口の奥・・・のどの入り口」「うむ、ないよ!」「えっ!ポッチとあるでしょう」「「もっと、あ~んして!」あ~ん!ゲボゲボ!「ないね!口内炎じゃないよ」「がんでもないけどね」周りの看護婦さんクスクス。どうも、堀ちえみさんの病気の告白依頼・・・この手の患者さんが多いいみたいです。「まあ、異常はないから。大丈夫だよ。」「あふぃがちょうごぜいまちゅ!」「じゃ、花粉症の薬。今年は、これで終りかな!」

ということで、悩みの種の「口内炎」は、「口内炎」ではなく、もちろん、「がん」でもなく・・・・・それじゃ、このポッチはなんなの?まあ、口内の肌荒れみたいなものかな?口内の傷は、いつも、すぐに治るのですが・・・嫌な言葉ですが、「華麗」じゃなくて「加齢」

ぼくの好きな作家の一人。「三浦しをん」久しぶりです。

「四人の女」 アラフォーの刺繍作家の佐知、お嬢さん育ちの母親・鶴代、同じ年の佐知の友人雪乃、そして、雪乃の会社の同僚で佐知の刺繍教室の生徒の多恵美(キャピキャピの二十代)の四人が一緒に暮らす杉並の古びた洋館での物語。

細雪」の登場人物、鶴子(長女)、幸子(次女)、雪子(三女)、妙子(四女)と微妙に似ているのは作為的か?って、作為的なのですが、そこが面白い。

『「ねぇ、気づいている?」
「私たち「細雪」出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」
それはたいてい、晩に四人がリビングに集っているときだ。鶴代はいもけんぴんをつまみながらテレビドラマを鑑賞し、雪乃はストレッチと称してパジャマ姿で案山子のようなポーズを取り、風呂上りの多恵美はパンツ一丁で脛毛を抜く。ダイニングテーブルで刺繍のデザイン案を描いていた佐知は、そんな姿を見てため息をつく。』

この四人ののんびりした暮らしの中で、二つの事件が起こる。一つは、多恵美の元彼のストーカー事件。もう一つは、土砂降りの雨の夜中に侵入してきた強盗事件。でも、この小説の主役は、カラスだったのです。というより、カラスの力で黄泉の世界から引き戻された佐知の父親の魂だったとはビックリです。

『きみたちは見守られている。私は、すでにこの世にはいない多くのものに。知らないだろう。それでいい。きみたちは生きているのだから。』

 ぼくは、生きているのだから。そして、亡くなった父や母、おじいちゃん、おばあちゃん、ぼくを知る人たちに見守られている。だから、口内炎なんてへっちゃらだ!!!