「お金の整理学」

「お金の整理学」
外山滋比古
2019年1月21日第2刷発行
小学館新書

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30年前、東大生が皆、読んでいる。と言われた「思考の生理学」の著者外山滋比古。御年95歳とのこと、さすがに、最近、老人ホームに入所して、なお、執筆活動をしているとのこと。「知の巨人」は、心身ともに健康かつ頭脳明晰を保持しているらしい。まことに、うらやましいことである。

95歳からすれば、まだまだ、ぼくは、小僧にしか過ぎない。その小僧も、あと、2週間で現役引退である。スポーツ選手は、華々しく、引退試合をやったり、引退会見をやったりするが、われら、世に出ないサラリーマンは、静かに、オフイスというステージから去っていく。だからといって、寂しいということではない。

95歳まで、まだ30年もある。こりゃ、えらいことである。いま、ぼくの頭の中は、会社の仕事のことは、ほとんど、ありゃしない。これから、30年?かどうかはわからないが、さて、どうやって次のステージを生きていくかということで一杯である。こんな経験は、人生65年で初めてである。

「おぎゃ」と生まれて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・つねに、次のステージが待ち受けていた。余程のことがないかぎり、エスカレーターである。そして、オイルショックの余波で、今でいう「就職大氷河期」をなんとか誤魔化し、いや、乗り切って、運よく何とか糊口を凌ぐ職にありつけた。まことに、しあわせなことである。

そのぬるま湯につかったまま、40年・・・年功序列、終身雇用、企業内組合という日本的経営の三種の神器に守られて、組織の中では、偉そうに過ごしてきた。そして、いま、先の見えない・・・まさに、人生、未曽有の場面に、面食らっている姿、途方に暮れている姿が、いまのぼくである。

そう、これからは、誰を頼ることもなく、己で道を切り開いていくしかないのである。手に職はなし、とくに特技もなし、資格もなし、くわえて、お金もなし、こんな、「不安」なことがあるか?こりゃ、ノイローゼになるのは、当たり前である。こんな事態に、平然としている方が、どうかしている。

なんちゃって、グダグダと書いてきたが、「不安」な気持ちを安らげるために、書店には、老後の指南書が山積みになっている。その一冊が、「お金の整理学」である。やっと、読書雑感に辿り着いたら、もう紙面が残り少なくなってしまった。まあ、いつものことである。このグダグダにお付き合いいただいている読者の皆様には・・・感謝。

さて、外山滋比古氏は、日本人は、その道徳観念から、お金のことをいうのは「卑しい」こと、「品のないこと」だと思っていると説く。

『だからこそ、はっきりといいたい・・・・お金は大事だ。
とりわけ長い老後を送るにあたって、もっとも大切なものはお金だといっていい、「お金の話」をすることも大切である。』

 社会福祉に頼っていては、財政破綻は明らかである。そこから目を逸らしてはいけない。それでは、どうすればいいのか?それは、一人一人は、考えることである。・・・なんだ?答えはないのか?そりゃそうだ。答えはないであろう。

『人間らしい生き方をするために、リスクを伴う選択は必要だ。定年退職したら、あとは安全運転で余生を過ごす・・・そんな思考では、長い人生は面白くない。』

 この本を読んで、なんの指針も得られなかったが、なんだか勇気は与えられたような気がする。