「木曜組曲」

木曜組曲
恩田 陸
2019年2月15日第1刷発行
徳間文庫

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例年より、ずいぶんと遅くなりましたが、いよいよ、関西も入梅するらしいです。ぼくは、雨は嫌いではありません。もちろん、靴の中がグシュグシュになったり、ズボンがビシャビシャになるほどのどしゃ降りは嫌ですが、家の中で、シトシトと降る雨の雨だれの音は、どちらかというと好きです。

そもそも、水の音は風情があります。川のせせらぎの音、滝の流れ落ちる音、波の音、人工的には、水琴窟の音・・・癒される音ばかりです。なぜ、人は水の音に癒されるのか?「おまえだけだよ」・・・そうかもしれませんが、思うに、人の起源は、水に由来するからではないでしょうか?と、これは、あくまで、ぼくの推測です。

『時子の城である「うぐいすの館」と、そこに集う血縁関係にある創作稼業の女たち、気の置けない毒舌の応酬、お酒とご馳走、柔らかいベッド、楽しみであるのと同時に、げんなりさせられてしまうところもある。それもこれも、やはりみんなが引きずっている時子の影のせいなのだ。時子の存在がいかに大きかったか、深い感慨と、かすかな疲労とともに、実感させられる。特に何のメリットがあるわけでもないのに、いつでもやめられるのに、未だにこうして毎年集まり続けているのも、彼女の死後四年を経て今なお、自分たちが彼女の支配下にあることを思い知らされる。』

四年前、耽美派の小説の巨匠、重松時子が薬物自殺した。そのとき、時子の「うぐいすの館」にいた5人の女が集まる。そして、今年は、「木曜日」をはさんで二泊三日で、時子の自殺の真相について、それぞれ、時子との関係について告白した。その告白から、さまざまの憶測や、疑惑や、懐疑や、疑念が渦巻く。果たして、時子の死の真相は、自殺?それとも他殺?

心理ミステリーというらしいです。この類のあらすじのテレビドラマやシネマは、ありがちですね。5人の女を楽曲に見立てて、それを木曜日に「うぐいすの館」で一つにして組曲とする。この小説の特色は、5人の女にある。「静子は、時子の異母妹で出版プロダクション経営」、「絵里子は、静子の母の妹の娘(静子の姪)でノンフィクションライター」、「尚美は、時子の弟の娘(時子の姪)で流行作家」、「つかさは、尚美の異母姉妹(うううううう・・・時子の・・・)純文学作家」、そして、「えい子は、時子の専属の編集者(血縁なし)」

この5人の女の関係が、この小説の全体のストーリーにおもしろく作用する。まさしく、組曲である。作家とは、うまく「タイトル」をつけるものです。「木曜組曲」は、読了後、この作品のタイトルの妙におもしろさを感じました。