「たゆたえども沈まず」

原田マハ

幻冬舎文庫

令和2年4月10日初版発行

 

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1年ぶりに尾道に出張。と言うか、もう、1年が過ぎてしまったか?

 

「海が見える。海が見える。尾道の海が見える。」午前中は、サウナに入っているような蒸し暑さで、早く、雨が降らないかな、と思っていたら、激しい雨が降って、何だか、涼しくなってきました。これが、今年の夏の終了宣言。暑さ寒さも彼岸まで。

 

そんな雨に煙る尾道水道を渡船で渡る・・・尾道は、そこはかとなく趣がある。緩やかな傾斜の浮桟橋・・・これは、満潮のしるし。干潮のときは、この傾斜が厳しくなる。〇下船優先 〇足元注意 の看板がおもしろい。その先には、どこの島に渡る高速船であろうか?

 

そういえば、20年前、この船着場から高速船に乗って今治に行ったことがある。点在する島々に立ち寄って、人と荷物が行き来するのを、船内の後部座席に横になって、眺めていました。そんなのんびりした時の流れは、いまは、しまなみ海道が完成して、車での行き来になっています。

 

そんなことを考えながら、駅前ビルで尾道ラーメンを食べていました。ご当地ラーメンブームで、いつの間にか、尾道ラーメンも有名になりました。が、「朱華園」は、もう閉店したそうです。それも、時代の流れなのでしょう。

 

昭和を懐かしむのは、昭和生まれの性でしょう。明治生まれは、明治を懐かしみ、大正生まれは大正を懐かしむ。みんな、同じです。話は変わりますが、近頃、若い人の間で、昭和のポップスが流行っているらしいです。ときどき、テレビで流れるとホットするのは、何故でしょう。

 

余談から読書雑感へ

 

原田マハさん、もちろん、美術歴史小説です。今回は、ゴッホ兄弟がモチーフになっています。

 

今や、世界中の誰も知っているフィンセント・ファン・ゴッホ。1953年(江戸末期)~1890年(明治23年)の画家。彼の弟 テオドロス・ファン・ゴッホ。テオは、画商として、兄のゴッホを支え続きたことは有名なお話。画商としてというより、画家の兄の支援者として。

 

というのも、テオは、ゴッホの絵を画商として取引したことはなかったのです。なぜ?今は、世界中の人が、ゴッホの絵を欲しがっているのに。

 

19世紀末のパリ美術界は、まだ、印象派の絵画(モネ、ルノアールセザンヌなど)でさへ、認められていませんでした。ブルジョアジーが、求めるのは宗教画を中心とした中世欧州からの歴史的な絵画でした。

 

ゴッホの絵は、技法もモチーフも、まったく、今までにないものでした。それは、日本の浮世絵に影響されたといわれています。その浮世絵をパリで扱っていたのが、林忠正。この小説では、林忠正、その部下加納重吉が、テオ、そしてゴッホと出会い、ゴッホの新しい才能に共感していく物語です。

 

驚いたのは、実際に、ゴッホは、浮世絵を模写していたということです。本箱の週刊美術館(2000年に50巻発行された美術雑誌)のゴッホの巻を調べてみたら、歌川広重「大はしあたけの夕立」、渓斎英和泉「雲竜打掛の花魁」の模写がありました。

 

「花咲くアーモンドの枝」は、まるで日本画そのものですね。ぼくは、2000年に、いったいこの雑誌のどこを読んでいたのか?

 

「たゆたえども沈まず」から、2000年に購入した美術雑誌を、久しぶりに読み返すことができました。これも、小説の効用ですね。