「漱石先生ぞな、もし」
文春文庫
2016年10月10日第8刷発行
先週、半藤一利氏の訃報がテロップで流れました。
やや、これは、コロナかな?と思ったら、老衰で亡くなられたそうです。享年90歳。
ぼくが、夏目漱石のファンであることは、このブログで何度も書いたことがあります。そのため、半藤さんのことは、存じ上げています。
ずばり、夏目漱石は、義理のお祖父さまです。もう少し、詳しく説明すると、半藤氏の細君である末利子さんが、夏目漱石の長女である筆子の娘です。筆子の夫である松岡譲氏は、漱石の門人で、漱石関連の書籍が多数あります。末利子も、漱石関連の随筆を書いています。
そこで、半藤氏の訃報を聞いて、本箱を漁ってみると、ありました。
「漱石先生ぞな、もし」・・・これ、まだ、未読でした。これから、読もうと思って、引っ張り出しました。パラパラとめくってみると、「歴史探偵」と言われた半藤氏らしい文芸評論をユーモラスに展開しているようで、面白そうです。
なぜ、未読なのか・・・記憶にございません。
半藤氏で、おそらく、皆さんがご存じなのは、「日本の一番長い日・・運命の八月十五日」だと思います。映画化もされて、たぶん、ぼくは、見たと思います。なんとなく、当時のオールキャストの壮大なシネマだったと思います。
そんなこんなで、どうして、今、半藤氏の訃報に反応したかと言うと、ちょうど、「吾輩は猫である」の英訳版(中学生レベル)を読んだところでした。折角なので、冒頭部分を、紹介しましょう。
『I am a cat. And I don’t have a name yet. I have no idea where I was born. But I do remember crying in a dark, wet place. And that is where I met a human for the first time. He was the most dangerous type of human, but I didn’t learn that until later. He was a Shosei student.』
もう一つ、新聞小説、伊集院静の「ミチクサ先生」(夏目漱石と妻の境子の物語)を毎日、愉しみにして、読んでいます。どういうご縁か知る由もありませんが、このところ、漱石先生に親しんでいたのですね。
千円札よりは、万円札の方がいいのですが・・・?
そうそう、話が、よそに飛んでいますが、「漱石先生ぞな、もし」の第一話は、「坊ちゃん」の主人公のモデルは、誰か?というお題から始まります。こういうことを研究している学者さんが沢山いるのは、平和な証拠です。
ぼくも、研究しました。漱石の小説には、「成程」「余程」「左程」などの表現が多く出てきます。司馬遼太郎の小説には、「余談ではあるが・・・」というくだりが、多く出てきます。って、これは、常識ですか?
そして、ぼくのブログには、両方の表現が、多く出てきます。