「ショコラティエ」

ショコラティエ

藤野恵美

2021年4月20日初版

光文社文庫

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 県庁前Y字路 都会にもY字路がありました。日本キリスト教団神戸栄光協会のあるY字路は、何度も車で走っていますが、よくみれば、立派なY字路です。レンガ造りの建物は、Y字路で際立っています。神戸らしいかな。

 

いよいよ、東京オリンピックが近づいてきました。と言っても、コロナ禍のなか、今一つ盛り上がりに欠けますが、どうも、そもそも、諸外国では、日本ほど、オリンピックに関心は強くないそうです。

 

むしろ、サッカーやラクビーのワールドカップの方が、メジャーという国もあるらしいです。また、まだまだ、スポーツの祭典どころではないという国も沢山あるらしいです。

 

日本におけるスポーツの歴史は、わずか、150年なのです。ぼくが、ほぼ、70年も生きているので、親子孫三代の歴史程度なのです。

 

なにが、言いたいかと言うと、オリンピックは、いや、それにだけではなく祭典は、本来、ボランティア的なものであり、極度に商業化してしまうと、「行先を過つ」ということです。

 

したがって、この際、商業的なことは、水に流して、簡素で、ホームステイに徹したオリンピックにしたらいいじゃないですか?いっそのこと、「緊急事態宣言」の中で、開催したらどうですか?

 

新しいオリイピックの有り方は、東京から!

 

と、余談が長くなりましたが、こちらも、舶来物のチョコレートのお話です。そして、舞台は、神戸です。

 

ショコラティエ」とは、「chocolatier」。これ、語源は、フランス語らしいです。

 

日本語でチョコレートは、フランス語で「chocolat」(ショコラ)、英語で「shokolate」(ショコレート)。

 

日本語でショコラティエ(チョコレート菓子職人)は、フランス語、英語で「chocolatier」。

 

言葉って、面白いですね。

 

神戸の下町(下町って、どの辺りか?どうも、二宮付近)に住む母子家庭の聖太郎、北野の豪邸に住む製菓会社の御曹司の光博、そして、光博の幼なじみの凜々花。それぞれ異なった環境で育っていくが、子供のころのふとした「つながり」から、引き合うものを感じる。

 

聖太郎は、菓子職人を志す。光博は、自堕落な生活に落ちていく。凜々花は、ピアノの才能の限界を感じる。

 

三人は、それぞれの人生を歩みながら、お互いを気にしながらも、少年から青年へと成長していく。思わぬ展開もあるが、それが青年群像ストリー。ベタなフィーリングではあるが、そのベタさが、逆に、面白いかも。

 

『温めたチョコレートを冷たい大理石の台に垂らし、パレットナイフで広げ、中央に集め、薄く伸ばし、残りのチョコレートを加え、さらに混ぜ合わせていく。チョコレートをなめらかな口溶けにして、美しいつやを出すために必要なテンパリングという工程である。温度を調整することで、チョコレートに含まれるカカオバターの結晶を安定させる。』

 

まるで、青年の成長過程のようなチョコレートの工程。三人は、やがて、チョコレートでつながる。

 

藤野恵美さんの作品は、「ハルさん」以来です。「ハルさん」は、重松清の「とんび」に、この作品は、池井戸潤の「あきらとアキラ」とシチュエーションが似ていますが、藤野恵美さんの作品の魅力は、ズバリ「優しさ」の小説だと思います。