「貝に続く場所にて」(165回芥川賞受賞作)

「貝に続く場所にて」(165回芥川賞受賞作)

石沢麻依

2021年9月号

文藝春秋

  

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deepな横丁 「deepな横丁」は、どの街にもあったし、いまでも、名残りのある街は、多いいと思います。さて、このスケッチはどこでしょう。むかし、三宮にも、似たような横丁がありましたが、いまはありません。たしか、「どぶ板通り」と呼んでいたように記憶していますが?

 

 まあ、よく雨が降りますね。まるで、バケツをひっくり返したような激しい雨もありましたが、とにかく、長い間、お日様にお目にかかっていない気がします。

 

思い起こせば、9日(月)から毎日、毎日の雨天、曇天が続いて、水撒きアルバイトは中止、途中中止の連続、甲子園球児の気持ちが、少しは、理解できるような心持ち(比べようもないか?失礼!)です。

 

NHK大阪の潮見さん(気象予報士)は、「梅雨の出戻り」なんて、解説していましたが、梅雨ではなく、「向日葵雨」(何て読むかな?)ですね。自然も変化しているので、新しい概念が必要かも。

 

そうそう、バケツをひっくり返したような雨といいますが、「破雲雨」という用語もあるそうです。まさに、天や雲が破れて降る雨のこと。えっ、こういう用語があるのなら、こういった気象現象は、昔も、あったということでしょうか?

 

ついつい、余談が長くなりました。

 

さて、今期の芥川賞(165回)のご紹介です。とにかく、年に二回の純文学を読む機会です。今期は、二作ありますが、まず、「貝に続く場所にて」です。

 

作者の石沢さんは、仙台出身、ドイツ在住の西洋美術史を学んだ方だそうです。それだけに、西洋絵画に関する叙述が、多くあります。が、専門的すぎて、さっぱり、分かりませんでした。

 

物語は、一言でいえば、「幽玄の世界」。

 

舞台は、ドイツのゲッティンゲン(地図で見るとドイツ中央部の学研都市らしい。)で、作者自身が、ドイツ・ルネッサンス美術の研究で、ゲッティンゲン大学に留学していたそうです。

 

さて、「あらすじ」を、どう説明したものか?

 

まずは、私(里美)が、野宮(実は、幽霊)を駅に出迎えて、バス停まで送っていく・・ここから、もう、不思議。野宮は、3年前の2011年3月11日に海にさらわれて行方不明になった(私の研究室の同僚)。

 

そこから、過去と現在の行き来が始まり、ゲッティンゲンにある惑星のブロンズ板を巡って、不思議な現象が起こります。撤去したはずの冥王星(惑星ではなくなった)のブロンズ板が現れるなど。トリュフ犬が、街に埋もれた物を発掘するなど。なんとなく、2011年の漂流物とつながります。

 

突然、寺田氏が現れる(寺田寅彦のこと)。夏目漱石へのハガキ(「ゲッティンゲンから」)の思い出。漱石の「夢十夜」からの連想。もう、何が?何だか分らない?

 

それでも、なんとなく、ゲッティンゲンの街を舞台に、死者、生者、不明者、生存者、過去、現在、入り乱れて、幻想的な世界観を醸し出している。これぞ、純文学。

 

読了後、ぼくの頭に残ったのは、「夢十夜」、寅彦の随筆、ゲッティンゲンという街の名前、そして、忘れてはならない2011年。