「楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか」

「楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか」

大谷 弘至

中公新書ラクレ

2021年11月20日発行

 

觜﨑屋(はしさきや)本店 播磨の小京都、龍野。古い商家が立ち並ぶ一角に和菓子屋さんの「觜﨑屋本店」。屋根の上の古い屋号の書いてある街燈。現代のネオンと言ったところか?

おやつに、ぼくは、「醤油饅頭」、細君は、「麩まんじゅう」。夕食のあとの「くずもち」も買いました。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

最近、テレビのバラエティ番組「プレバド」の影響で、俳句ブームとのこと。そこで、ぼくも・・・・と思ったことはありますが、思っただけで、文学的な才能が欠如しているとの自覚により俳句をやっているわけではありません。

 

この本は、老後の生き方を模索中のぼくとしては、俳句というより「楽しい孤独」というタイトルに興味を持ったのです。そうは言っても、

 

小林一茶と言えば、

 

『我と来て 遊べや親の ない雀

 痩せ蛙 まけるな一茶 是に有

 やれ打つな 蝿が手をすり 足をする』

 

蕪村、芭蕉とくらべて、親しみの持てるユーモラスな俳句が多いので、好ましい俳人の一人ですね。

 

それぞれ活躍した年代を調べてみると、松尾芭蕉江戸前期1644~1694)、与謝蕪村(江戸中期1716~1784)そして、小林一茶(江戸後期1763~1828)ということで、俳句に、その時代が反映されているのかもしれません。

 

その後、明治になって正岡子規が、写実主義の俳壇を確立して、今、「プレバド」で、梅沢富美男が、俳句人気を盛り上げているということかも。

 

江戸期、俳人の多くは、辞世の句を残したらしいですが、一茶には、ないそうです。

 

「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」(芭蕉

「しら梅に 明ける夜ばかりと なりにけり」(蕪村)

(子規絶句3句)

糸瓜(へちま)咲いて 痰のつまりし 仏かな」

「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」

「をとといの へちまの水も 取らざりき」

 

小林一茶俳人としての足どり、そして、一茶の生きた時代と照らし合わせながら、一茶の生涯とその俳句を紹介する「楽しい孤独」。

 

ときどき、読み返したい本ですね。

 

「老が身の 値ぶみをさるる けさの春」

一茶、晩年の一句でした。