「八本目の槍」

「八本目の槍」
今村 翔吾
新潮文庫
平成4年5月1日初版

 

向日葵 小野ひまわりの丘公園の無料摘み取りが先週で終わっていました。今年も楽しみにしていたのですが、残念。6月の暑さで、向日葵も、少し、早めに開花してしまったのでしょうか。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

またしても、コロナ大爆発。いよいよ、ぼくの身近でも、誰それが感染した、誰それが濃厚接触者になったなどの話題を聞くようになりました。4回目のワクチン接種済みといえども、油断はできません。


が、聞こえてくるのは、無症状やインフルエンザより楽だという感想、ただし、3回目の接種をしていない若い方は、のどの痛みが酷いようにも聞きました。


兵庫県人口550万人のうち60万人が感染しているわけで、おおよそ10人に一人は感染しているので、ぼくも、もう、何時感染してもおかしくないって感じです。なんとか、逃げ切りを果たしたいところですが・・・・。


さて、久しぶりの歴史時代小説です。今村さんは、「塞王の楯」で直木賞を受賞した、いま、注目の歴史時代小説作家です。

 

天正十一年(1583年)四月、殿下がまだ羽柴秀吉と名乗っていた頃、宿敵の柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いである。
「賤ケ岳七本槍」・・・・
最年長の甚内は、ようやく出世の足掛かりが出来たと興奮していた。助右衛門は喜びこそすれ、自ら誇るような真似はしなかった。己(虎之助)もこの部類である。助作などはむしろ持て囃されるのを嫌うように苦笑していた。孫六は元来出世に頓着が無いのか、茫と皆の輪に加わっていたように思う。
最も喜んでいたのは市松と甚平か。いまだにどちらも、 賤ケ岳七本槍の・・・・。と自らを名乗る時の枕詞のように使っている。』

 


「賤ケ岳七本槍」とは、賤ケ岳の戦いで活躍した秀吉の小姓たちのことです。この七本の槍の中には、佐吉は入っていません。


それぞれ、ご紹介しましょう。


虎之助、加藤清正(のちの熊本城主)=市松、福島正則(のちの広島城主)=甚内、脇坂安治(のちの洲本城主)=助右衛門、糟屋武則(のちの加古川城主)=助作、片桐且元(のちの豊臣家家老)=孫六、加藤慶昭(のちの松山城主)=権平、平野長泰(のちの大身旗本)。そして、佐吉とは、石田三成佐和山城主)です。


小説は、七本槍の七人と佐吉の物語の連作です。この時代の小説は、随分とありますが、この切り口は初めてですネ。


今村さんは、ある対談記事で、司馬史観を越えたいと、言っていましたが、うむ。司馬遼太郎は、歴史的事実にその時代の土地・人などの考察を加えて、独特の史観を展開しますが、この小説は、今村史観というより、今村歴史フィクションのレベルだと思います。


ちょっと、偉そうに辛口でした。