「ツナグ 想い人の心得」
辻村 深月
平成4年7月1日初版
「残暑お見舞い」 今年の夏は、とりわけ暑い・・・熱いです。ぼくが部屋でゴソゴソしていると、午前中に、30度を超えて、しかも、湿度が70%。気温はまだしも、湿度が高すぎでしょう。もう、日本は、亜熱帯か。
今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。
巻頭のつづき、午前中は、節電に協力して、クーラーを点けていませんが、さすがに、午後は、32度まで上昇すると、クーラーが必要です。そのとき、意識朦朧。
会社に行っているときは良かった。行きかえりの暑さを辛抱すれば、事務室は、適温で快適でしたね。どこか。タダで、ゆっくりできて、涼しいところは、ないでしょうか?会社が懐かしい今日この頃です。
この頃、ニュースは、「旧統一教会」一辺倒。信教の自由と裏腹の問題であり、難しい問題です。そもそも、宗教は、ある程度は、マインドコントロールはつきものでしょう。「南無阿弥陀仏」も「アーメン」も、神や仏に縋る人間の欲求です。
お盆になれば、お坊さんが、カブに乗って走り回っています。檀家は、お布施を払って、先祖供養のため、お経を唱えてもらいます。お寺にお墓があれば、毎月、なにがしかの供養料を求められます。
ぼくは、たぶん無信教なので、お盆でも、なにも行事はありません。
それでも、お正月は湊川神社に初詣。1年の健康安全を祈願して、熊手、お札、お守りを頂きます。また、ときどき、神社に参拝して、ご朱印を頂きます。
そうそう、毎週、龍象院で坐禅会に参加して、「聖観音菩薩」に拝礼します。ときには、「般若心経」を唱えます。
あまり議論が白熱して、信教の自由・これは、内心の自由の根幹・を侵害する方向にならないことが肝要です。
ここから、「読書雑感」。お盆にピッタリの「ツナグ」です。
使者(ツナグ)が仲介して、満月の夜、死者と面会できる。生きている人も死んだ人も、お互いの合意のもとに、1回限りのチャンスである。
『死んだ人間と、生きた人間を会わせることができる窓口。
本当だったら永遠に実現するはずのないその面会の依頼を受け、死者と交渉し、場を設定する使者の仕事は、知る人ぞ知る存在で、その存在まで辿れるかどうかはすべて“ご縁”による。そう、先代の使者だった祖母から教えられた。
どれだけ探しても辿り着けない人もいる一方で、必要な人は不思議と繋がるようになっている。
そして、その辿り着いた先にあるのが歩美のこの携帯だ。』
死んだ人に、もう一度、会えるとしたら、あなたは、誰に会いたいですか?
ぼくは、オヤジかな?おふくろかな?でも、チャンスは、1回。一度に二人は、ルール違反。どちらを選んでも、選ばれなかった方がひがみそう。結局、どちらも選べない。
この小説は、「ツナグ」の続編です。「想い人の心得」という副題の短編連作になっています。