「雲と風と 伝教大師最澄の生涯」

永井路子

中公文庫

1990年6月9日 初版発行

2021年9月25日 改版発行

 

「一隅を照らす」

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」目の前のこと、自分にできることをやろう。目立たず、おごらず、ただひたすらに。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

このところ、旧統一教会の問題で、やたらと宗教の話題がニュースになりますが、なぜ、日本人は、セクトやカルトに陥りやすいのか?との疑問。

 

あるコメンテーターは、日本人は核となる宗教がないからではないか。

 

これは、うなずける意見かもしれません。

 

ということで、

 

探していた本を見つけました。ジュンク堂に入荷していました。

 

2021年が、「最澄1200年大遠忌」。最澄が入寂して、弘仁13年(822年)から1200年ということらしい。その記念として、30年前の永井路子さんの「雲と風 伝教大師最澄の生涯」が改版発行されていました。

 

ちなみに、永井路子さんは、御年97歳の歴史小説家でした。もう30年前に引退を公表したと思います。最近、消息を聞きませんが、お元気でしょうか?

 

同時代の空海については、司馬遼太郎の「空海の風景」など多くの作品があるのですが、最澄については、小説家の作品は、この本ぐらいかも、と思っていたら、巻末の参考文献に瀬戸内寂聴の「伝教大師巡礼」が掲載されていました。そりゃそうですね。瀬戸内寂聴さんは、天台宗の尼僧でした。

 

なぜ、最澄に興味を持ったか?ぼくは、ほとんど無宗教ですが、坐禅会に参加しているお寺が天台宗なので、ときどき、比叡山延暦寺のお話があるので、知識として知っておきたいと思ったこと。

 

もう一つ、「日本の仏教の母山」とも言われる叡山であるにもかかわらず、人気のある空海弘法大師)に比べて、わりと人気薄の最澄。それは、なぜ?

 

頑張って読みましたが、残念ながら、この本、難しすぎました。これは、小説というより、学術書と言っても過言ではありませんでした。

 

唯、空海との対比を次のように書いています。

 

空海の書は芸術としての書を残している。つまり見せるための書である。そのみごとさが嵯峨(天皇)をとりこにするのだが、最澄にはそういう遺品はない。彼はひたすら天台教学のために、つまりわが志をのべるために書くのであって、その書蹟を褒められるために書いてはいない。誠実な書風には一種の風韻があるが、空海の書がプロ意識を持つとすれば、最澄のそれは、アマチュアのすがやかさに満ちている。』

 

たしかに、空海の「風信帖」(空海から最澄への手紙)はお手本になっていますが、最澄の「久隔帖」(最澄から空海への手紙)は評価されていませんね。

 

ということで、今度は、「風信帖」の臨書でもしてみましょうか?いかん、どうも、気が多くて・・・虞世南、王義之を、まず、書き込まなければ。