「風神雷神 ~上~」
PHP文芸文庫
2022年1月6日初版
和太鼓倶楽部のTシャツ
年始早々、和太鼓倶楽部のTシャツを制作することとなり、新入りのぼくは、ご指名によりデザインを考えることとなっちゃいました。
「どうする!ぼくちゃん!」
やむを得ず、未熟なパソコンを駆使して、シンプルなデザインを考えましたが、これを誰が発注するの?また、お鉢が回ってきそう。
入会5か月、練習に参加したのは、まだ、6回。にもかかわらず、「4月の桜の時期のお祭りに舞台参加の申し込みをしたので、そのつもりで!」
「えっ!」「ぼくは、まだ、未熟者。」「大丈夫、大丈夫!」
そこで、必要になったのが、ユニフォーム。そんなのいいじゃん。とは思ったが、熱心な先輩たちが、Tシャツぐらいは必要と主張、ということでTシャツを制作することとなりました。
演目は、「太鼓囃子」3分チョイ。そのために。
できるだけコストを抑えるために「白Tに既存のフォントの黒文字」でデザイン。まあ、デザインというほどのことではないが、ごちゃごちゃさせずに、思い切ってシンプルにしました。
さて、これで、皆さんが納得するでしょうか?ほんと、怖いわ!
余談は、ここまでで、今年最初の読書雑感は、原田マハの「風神雷神 ~上~」です。
「風神雷神図」で、もっとも有名なのは、俵屋宗達の「風神雷神図屛風」です。京都国立博物館にあるらしいのですが、残念ながら、ぼくは、鑑賞したことはありません。
俵屋宗達は、江戸時代初期に活躍した絵師ですが、その生涯は不明な点が多いいらしいです。評価され始めたのは、江戸後期から明治以降ということで、海外への流出が多いとのことです。
そこに目を付けたのが、原田マハ。その生涯が不明ならば、小説になりやすい。宗達は、マハの独特なフィクションの世界に引き込まれました。
ときは、安土桃山時代。宗達が14歳の頃、織田信長に絵師としての腕前を認められ、信長から宗達と命名された。その後、信長の命により、当代随一の絵師である狩野永徳のアシスタントとして、「洛中洛外図」を描いた。
さらに、信長は、宗達に、天正遣欧使節の一員としてローマに赴き、「洛中洛外図」をローマ教皇の献上すること、さらに、ローマの万物を描き、さらに、活版印刷技術を習得することを命じた。
なんと、奇想天外なフィクション。さすが、小説家です。たぶん、書いていると次から次へと、妄想に次ぐ妄想が頭の中に浮かんでくるのでしょう。
上巻では、天正遣欧視察が、出航して、マカオ、マラッカ、ゴアまでたどり着きました。これから、宗達には、どんな事件が待ち構えているのか、乞うご期待。
『風神は、東の空にいて、風を起こす。その怒りに触れると、たちまち風が吹き荒れる。
雷神は、西の空にいて、風神の怒りに呼応するように、雷の槍を閃かせ、大地を揺るがす雷鼓を打ち鳴らす。』
「風邪ひいてまんねん」でお馴染みの改源は、風神様ですね。