「ノボさん 上巻 小説正岡子規と夏目漱石」

「ノボさん 上巻 小説正岡子規夏目漱石

伊集院静

講談社文庫

2016年1月15日第一刷発行

 

しあわせの村

久しぶりに、「しあわせの村」で、テニス。しかも、4時間。いつもの住宅の近いテニスコートから、たまには、山の中の丘陵地帯のテニスコート。気分爽快です。

しかも、テニスのあと、施設内の温泉で汗を流して、芝生広場でビール片手にワイワイガヤガヤ。芝生の上、周りの木立に、爽やかな風がそよぐ。

「また、やろう!」と、みんなで盛り上がりです。

 

先週は、テニス三昧でした。

 

まず、テニススクールの振替受講。定例のテニススクール、そのあと、メンバー有志によるアフターテニスで1時間のゲーム。さらに、しあわせの村での4時間のゲーム。

さすがに、やや疲れ気味。

 

テニスも、あと何年できるか分かりませんが、まだ、ぼくよりも年長の猛者(over eighty)もいらっしゃるので、うむ、10年は頑張れるでしょうか?

 

兎にも角にも、「継続が力」です。

 

今日も、テニススクールの帰り際、同年代のメンバーと、「来週も、元気で会いましょう」と、再会を約束したお別れの挨拶です。

 

さて、余談は、ここまで、

 

先週は、ちょっと毛色が違って「子規紀行文集」を紹介しましたが、なぜ、今、正岡子規なのか?その意味が、来週、明らかになります。と、なぞかけで終わりました。

 

「ノボさん」とは、正岡子規のことです。正岡常規(つねのり)、通称「ノボさん」。「ノボさん」は、幼名「升(のぼる)」に由来します。

 

正岡子規は、慶応3年(1867)伊予松山藩士の長男として生まれました。おって、夏目漱石も、同年に生まれです。

 

ぼくと正岡子規の出会いは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。子規と同じ松山に、秋山真之という幼友達が居ました。真之は、海軍に進み、やがて、バルチック艦隊と対峙した日本海大海戦のときの連合艦隊の参謀となります。

 

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動しこれを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」の打電は、子規と親交のあった真之の起草と言われています。

 

小説は、ノボさん、21歳(明治20年)、東京大学予備門の学生時代から始まります。そのとき、ノボさんは、ベースボールに夢中でした。

 

やがて、子規は、自分の行く道は、文学であると意識し、文学の道を歩み始めます。その頃、予備門首席の夏目金之助と出会い、刎頚之友となっていきます。

 

このあと、東京帝国大学文科にすすみますが、大学に道はなしと、金之助が引き留めるも、退学してしまいます。当時の大学というのは、卒業すると学士様となり、将来を約束された存在となります。

 

子規は、学士様を捨ててまでも、文学の道を選んだわけです。子規と言えば俳句ですが、実は、子規の文学の道は、小説、紀行文、漢詩、短歌、俳句などなど、多岐にわたります。

 

ところが、子規に病魔が迫ります。明治22年、初めての喀血。

 

「炎暑之候御病体如何被為渡候哉 療養専一摂生大事」(金之助の手紙)

 

来週は、下巻に続きます。