「せんせい。」
重松 清
新潮文庫
平成23年7月1日発行
460円
橋本大阪府知事の地方政党「維新の会」の主張する教育条例が、関西では、大きな話題となっています。教育委員会委員は、この条例が議会に提案されると総辞職すると息巻いています。教育条例の内容の詳細は承知していませんが、教員への評価主義の導入が争点の一部となっているようです。橋本知事の主張を全面的に支持するつもりはありませんが、「教育への政治介入は認められない」という意見は、如何なものでしょうか。そもそも、国民の教育を受ける権利は、憲法で保障されているものですが、憲法は、国家の存立を前提としています。そして、国家は、民主主義、社会主義などの政治思想を基盤としています。
もちろん、教育に政治思想が深く関与することは、戦前の軍国教育の反省から、忌むべきことでしょう。しかし、本来、主義、思想と言うものは、自然科学の世界には入りにくいかもしれませんが、人文科学の世界は、そうはいきません。人文科学は、少なからず、そこには、政治思想が入ってきます。したがって、「教育への政治介入は認められない」という論調は、少し、間違っています。また、教員といえども、公務員であり「国民の公僕」であれば、その働きぶりに成果主義が導入されるのは当たり前です。ただし、教員に対してのみ、他の公務員と比べて厳しい評価主義を導入するというのであれば、それは、違うのかもしれません。いずれにしても、先生が、聖職者であるという儒教的な考え方から、教員という教育の専門家であるという現実的な考え方もあるのではないでしょうか。
と言った、固いお話をするのが目的ではありませんでした。久しぶりに、重松清さんの小説を読みました。「きみの友だち」以来でしょうか。重松さんの小説を読む都度、思春期の子供という生き物について、考えさせられます。人生の中で、とても大事にしなければならない大切な時期です。その時に、毎日、6時間以上も、身近にいる「せんせい。」って、自分にとって、どんな存在だったのでしょうか。
『「それで、すまんが・・・・長谷川くん、夏休みの間にセンセにギターを教えてくれんじゃろうか」
唖然とする僕に、つづけて・・・・。
「二ール・ヤングが弾けるようになったら、それでええんよ。一曲でもええ。センセの好きなん、夏休みのうちに一曲だけ弾けるようにしてくれんか」
生徒に冗談を言うようなひとではない。そもそも、物理の授業に関係のない話など、いままで一度も聞いたことがなかった。
だから・・・本気なんだ、と思った。
それが、1979年夏の話。』
「せんせい。」の思い出はありますか?幼稚園(2年保育)、小学校(6年)、中学校(3年)、高校(3年)の間に、何人の「せんせい。」に会ったでしょうか?私は、小学校5年の夏に転校し、中学校2年の夏にも転校したので、入学した小・中学校と卒業した小・中学校が異なっています。その分、多くの「せんせい。」に会っていますが、残念ながら、その分、関係が希薄になっています。もう一つ、転校、転校のため、幼友達がいないので、記憶をたどる話をする相手がいません。そのため、記憶に残る「せんせい。」が居ないのでしょう。ちょっと、寂しい人生かも。