「一切なりゆき~樹木希林のことば~」

「一切なりゆき~樹木希林のことば~」
樹木希林
文春新書
2019年5月31日第23刷

 

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『2018年9月15日、女優の樹木希林さんが永眠されました。』

2019年上半期の一番売れた本らしいです。ぼくが、5月に購入した時点で120万部突破らしいです。なぜ、この本が、そんなに売れるのか?

ところで、先週、ぼくが、お世話になっているテニススクールのクラスの暑気払いがありました。もう、10年以上通っているのかな。クラスのメンバーで、毎年、暑気払いと忘年会と年2回の会合をやっています。メンバーは、40代半ば~60代半ば、職業バラバラ、でも、テニス愛好の会です。

ぼくより、一つ上の方、二つ上の方がいますが、60代は、その3人。同年代がいるので、励まされますね。と言うか、上の二人からは、「俺たちが頑張っている間はやめられないよね」というプレッシャーがあり、辞めるに辞められない状況。まあ、細君からも、辞めたら、もう復活できないからね・・・とも、プレッシャーがあります。

この会の話題は、とにかく、テニスのこと。もちろん、それぞれのプレーのこと、コーチの悩み、ウィンブルドンのこと・・・とくに、ラケット・シューズ・ウエアなど、道具の話は、盛り上がりますね。錦織のラケットはどうだとか、ジョコビッチフェデラーのはどうだとか。とくに、錦織ブランド(ウィルソンのラケット、ナイキのシューズ・ユニクロのウェア)で揃えている方もいます。

まあ、ゴルフでもそうですが、道具の話は、「筆を選ばず」ではなく、「選んで」話のネタにするのが面白いですね。ちなみに、ぼくは、ラケットは、大坂なおみと同じ「ヨネックスEゾーン」シューズも、ヨネックス、ウェアは、いまはアシックスって、バラバラですね。

そうそう、今日は、ウィンブルドンの決勝「フェデラーVSジョコビッチ」。どちらが勝つでしょうか?楽しみですね。昨夜は、女子の決勝があり「ウィリアムズVSハレプ」、まるで、ウィリアムズには失礼ですが、弁慶と牛若丸の戦いみたいでした。動きに勝ったハレプの初優勝。大坂なおみも、つぎの全米で頑張ってください。てな話も、今日のテニスのスクールの話題でした。

話を元に戻すと、「なぜ、樹木希林は支持されるか?」ぼくも、彼女が亡くなってから、彼女のテレビの特番を何本か見ましたが、「彼女はいい生き方をしている」と感じました。何が・・・この本のタイトルどおり「一切なりゆき」。「なにごとにも、囚われない」かと思えば、「一途のこだわりもある」そして、それが、とても自然で、あえて、作ろうとしていない。

要するに、ぼくが、人生訓としている「行雲流水」「平々凡々」「日日是好日」・・・3つもあるんかい!これを、自然にこなしている。そんな雰囲気をもった人でした。彼女には、こんな人生訓もなかったと思います。でも、仏教用語は、ときどき出てくるので、やはり、病気と関係しているのかな。

この本は、彼女が執筆したものではなく、彼女の記事、トーク番組での言葉などを編集したものです。このような本が出版されること自体が「すごい」ことだと思います。でも、決して、彼女がすごい人になることを望んだのではなく、世の中が、彼女をすごい人と認めたのですね。難しい御託を並べる著名人の本には「ない」もの・・・があります。それが、売れている理由です。

「サブマリン」

「サブマリン」
伊坂幸太郎
講談社文庫
2019年4月16日第1刷

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1週間が過ぎました。

とても、忙しく動き回って疲れました。会社では、個室でノンビリと阪神高速を眺めていたのですが、やりたい事に手当たり次第、チョッカイをかけていたら目が回りました。まあ、これから取捨選択しながら落ち着いていくのでしょう。

そうそう、わが家で購読?していた朝日新聞を止めました。ぼくは、家で新聞をほとんど読んでいなかったので、久しぶりに朝日新聞を読んで愕然としました。もはや、朝日新聞は公平・公正・中立の日刊紙ではありません。発行部数は、読売、朝日、毎日、日経、産経の順ですが、近年、日経以外は部数が減っているらしいです。

これは、PCやスマホの普及の影響でしょうが、特に、朝日の凋落が著しいようです。そりゃそうでしょう。日刊新聞として、記事、内容、社説・・・など、すべてにおいて、もはや、月額4千円の価値を認めません。そこで、会社で読み慣れた「日本経済新聞」に変更しました。月額5千円と千円高くなりますが、どうせ、払うなら・・・・ネ。おかげで、朝食前と夕食前に、じっくり新聞を読むようになりました。

なんと言っても、週末のメインレースの予想が馬柱まで掲載されているのがイイね。これ、競馬の話。「勝ち馬投票」への参加が、すっかり少なくなり、最近は、週末のメインレースのみ。これで、競馬新聞を買うのはもったいないので、これも・・・・というか、結局、これが最大の変更理由かな。あっ、それと、ぼくの商売の一つである「株取引」を充実させるには、「日経新聞」は必需品です・・・これが、ほんとの理由。

伊坂幸太郎さんの小説は、久しぶりに読みました。こんな「感じ」の小説を書く小説家だったかな?正直、やや、忘れていました。カバー裏の「あらすじ」に「家庭裁判所調査官の武藤は、・・・」と書いてあったので、とうとう、お仕事小説に「家庭裁判所調査官」まで、取り上げられたか・・・と、興味をもって読みました。

『僕たちはカウンセラーでもなければ、身柄引き受け人でも親代わりでもない。少年事件を調査し、報告すれだけだ。「だけ」と言うわりにはずいぶん大変だと自分では思うが、それでも僕たちは、「少年の人生」のすべてには対応しない。この少年はどうなるのだろうか、とその未来に思いを馳せることはあっても、基本的には、仕事として取り扱うに過ぎない。開き直るわけではなく、僕たちの仕事とはそういうものなのだ。妻が以前、「そのくらいの距離感じゃないとやっていけないでしょ」と言っていたがまさにその通りだ。』

 
なぜ、「サブマリン」というタイトルなのかを考えていた。ヒントは、帯に書かれていました。「暗い深海からの声を見つけたい」・・・二人の少年の無免許運転・・・死亡事故。担当の少年調査官の武藤は、上司の陣内とのコンビで、事件の調査を担当する。なかなか、真相を語ろうとしない少年、事件の周辺を調べているうちに、驚くべき事実がベールをはがすように明らかになってくる。

お仕事小説かと思っていたら、とんでもないミステリーでした。少年の犯罪に対する処分は、少年法により「守られている」いうよりは、教育・更生を目的としている。と、昔、刑事政策で勉強したことがあります。まさに、少年との距離感が必要だと思います。それと同時に、被害者心情とのバランスも必要です。それを担っているのが、家庭裁判所少年調査官・・・難しいお仕事です。

人生100年時代に向けて!

人生100年時代に向けて!

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ぼくこと、2019年(令和元年)6月28日(金)に退任しました。1978年(昭和53年)に入社以来、41年と3か月のサラリーマン生活でした。感慨は、様々。しかし、すべて過去のことである。過去は、過去として大事にしつつも、新しい生活のスタートの新たな門出である。

なんと言っても、人生100年時代?キャチフレーズとして、大げさかもしれませんが、男性の平均寿命からすれば、まだ、15年、健康寿命からすれば、まだ、10年。おおむね、物心がついたのが6歳ぐらいとすれば、大学を卒業するまでの時間が、ぼくには与えられているかもしれないのだ。

この時間を、どう過ごすかは、すべてぼくの裁量に委ねられている。親もいなけりゃ、子(子はすでに独立している?)もいない。細君と老犬が一匹いるが。とりあえず、手あたり次第、なんでも手を出してみようと思っている。ダボハゼのように食いついて。

すでに、7月1日は、シルバー人材センターのコーディネーターとの面接が予定されている。希望する仕事は、(孫がいないので)ひとの子供の子育て支援、若しくは、(庭がないので)ひとの家の庭の草取り。さて、オファーがあるかどうか?興味津々である。

それと、流通科学大学図書館の学外図書館利用メンバーに登録。これで、図書館が自由に使えるので、ここで、本を読んだり、ちーと勉強をしたりが可能。なんと言っても、涼しいのがイイね。学食も利用できる。ぼくの新しいオフイス替わりである。

それだけではない。ウクレレを人前で演奏できるレベルまで上達したい。これは、一番の目標かな。そのために、ウクレレサークルにも参加することとしている。

さらに、友人のAくんの2番弟子(上のフォトの扇子は書家のAくんからのプレゼント)として、競書会に参加して、一月に一回は、作品を仕上げなければならないが・・・これは、もう少し、様子を見てからにしようか。

もちろん、今までやってきた・・・ウォーキング、土曜日の坐禅会(in龍象院)、日曜日のテニス(in協同学苑)、読書、ポストカード(水彩)、ブログ・・・「えっ、欲張りすぎ!こんなにできるのか?」大丈夫!時間は沢山あります。えい!エイ!おー!

 

「木曜組曲」

木曜組曲
恩田 陸
2019年2月15日第1刷発行
徳間文庫

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例年より、ずいぶんと遅くなりましたが、いよいよ、関西も入梅するらしいです。ぼくは、雨は嫌いではありません。もちろん、靴の中がグシュグシュになったり、ズボンがビシャビシャになるほどのどしゃ降りは嫌ですが、家の中で、シトシトと降る雨の雨だれの音は、どちらかというと好きです。

そもそも、水の音は風情があります。川のせせらぎの音、滝の流れ落ちる音、波の音、人工的には、水琴窟の音・・・癒される音ばかりです。なぜ、人は水の音に癒されるのか?「おまえだけだよ」・・・そうかもしれませんが、思うに、人の起源は、水に由来するからではないでしょうか?と、これは、あくまで、ぼくの推測です。

『時子の城である「うぐいすの館」と、そこに集う血縁関係にある創作稼業の女たち、気の置けない毒舌の応酬、お酒とご馳走、柔らかいベッド、楽しみであるのと同時に、げんなりさせられてしまうところもある。それもこれも、やはりみんなが引きずっている時子の影のせいなのだ。時子の存在がいかに大きかったか、深い感慨と、かすかな疲労とともに、実感させられる。特に何のメリットがあるわけでもないのに、いつでもやめられるのに、未だにこうして毎年集まり続けているのも、彼女の死後四年を経て今なお、自分たちが彼女の支配下にあることを思い知らされる。』

四年前、耽美派の小説の巨匠、重松時子が薬物自殺した。そのとき、時子の「うぐいすの館」にいた5人の女が集まる。そして、今年は、「木曜日」をはさんで二泊三日で、時子の自殺の真相について、それぞれ、時子との関係について告白した。その告白から、さまざまの憶測や、疑惑や、懐疑や、疑念が渦巻く。果たして、時子の死の真相は、自殺?それとも他殺?

心理ミステリーというらしいです。この類のあらすじのテレビドラマやシネマは、ありがちですね。5人の女を楽曲に見立てて、それを木曜日に「うぐいすの館」で一つにして組曲とする。この小説の特色は、5人の女にある。「静子は、時子の異母妹で出版プロダクション経営」、「絵里子は、静子の母の妹の娘(静子の姪)でノンフィクションライター」、「尚美は、時子の弟の娘(時子の姪)で流行作家」、「つかさは、尚美の異母姉妹(うううううう・・・時子の・・・)純文学作家」、そして、「えい子は、時子の専属の編集者(血縁なし)」

この5人の女の関係が、この小説の全体のストーリーにおもしろく作用する。まさしく、組曲である。作家とは、うまく「タイトル」をつけるものです。「木曜組曲」は、読了後、この作品のタイトルの妙におもしろさを感じました。

 

「お金の整理学」

「お金の整理学」
外山滋比古
2019年1月21日第2刷発行
小学館新書

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30年前、東大生が皆、読んでいる。と言われた「思考の生理学」の著者外山滋比古。御年95歳とのこと、さすがに、最近、老人ホームに入所して、なお、執筆活動をしているとのこと。「知の巨人」は、心身ともに健康かつ頭脳明晰を保持しているらしい。まことに、うらやましいことである。

95歳からすれば、まだまだ、ぼくは、小僧にしか過ぎない。その小僧も、あと、2週間で現役引退である。スポーツ選手は、華々しく、引退試合をやったり、引退会見をやったりするが、われら、世に出ないサラリーマンは、静かに、オフイスというステージから去っていく。だからといって、寂しいということではない。

95歳まで、まだ30年もある。こりゃ、えらいことである。いま、ぼくの頭の中は、会社の仕事のことは、ほとんど、ありゃしない。これから、30年?かどうかはわからないが、さて、どうやって次のステージを生きていくかということで一杯である。こんな経験は、人生65年で初めてである。

「おぎゃ」と生まれて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・つねに、次のステージが待ち受けていた。余程のことがないかぎり、エスカレーターである。そして、オイルショックの余波で、今でいう「就職大氷河期」をなんとか誤魔化し、いや、乗り切って、運よく何とか糊口を凌ぐ職にありつけた。まことに、しあわせなことである。

そのぬるま湯につかったまま、40年・・・年功序列、終身雇用、企業内組合という日本的経営の三種の神器に守られて、組織の中では、偉そうに過ごしてきた。そして、いま、先の見えない・・・まさに、人生、未曽有の場面に、面食らっている姿、途方に暮れている姿が、いまのぼくである。

そう、これからは、誰を頼ることもなく、己で道を切り開いていくしかないのである。手に職はなし、とくに特技もなし、資格もなし、くわえて、お金もなし、こんな、「不安」なことがあるか?こりゃ、ノイローゼになるのは、当たり前である。こんな事態に、平然としている方が、どうかしている。

なんちゃって、グダグダと書いてきたが、「不安」な気持ちを安らげるために、書店には、老後の指南書が山積みになっている。その一冊が、「お金の整理学」である。やっと、読書雑感に辿り着いたら、もう紙面が残り少なくなってしまった。まあ、いつものことである。このグダグダにお付き合いいただいている読者の皆様には・・・感謝。

さて、外山滋比古氏は、日本人は、その道徳観念から、お金のことをいうのは「卑しい」こと、「品のないこと」だと思っていると説く。

『だからこそ、はっきりといいたい・・・・お金は大事だ。
とりわけ長い老後を送るにあたって、もっとも大切なものはお金だといっていい、「お金の話」をすることも大切である。』

 社会福祉に頼っていては、財政破綻は明らかである。そこから目を逸らしてはいけない。それでは、どうすればいいのか?それは、一人一人は、考えることである。・・・なんだ?答えはないのか?そりゃそうだ。答えはないであろう。

『人間らしい生き方をするために、リスクを伴う選択は必要だ。定年退職したら、あとは安全運転で余生を過ごす・・・そんな思考では、長い人生は面白くない。』

 この本を読んで、なんの指針も得られなかったが、なんだか勇気は与えられたような気がする。

「海の見える理髪店」

「海の見える理髪店」
萩原 浩
2019年5月25日第1刷発行
集英社文庫

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「海の見える理髪店」、前回に引続き、2016年直木賞の受賞作品です。
荻原浩さんは、ぼくの好きな作家さんの一人です。彼の作品は、このブログでもいくつか紹介しています。直木賞の候補にも、何度もノミネートされて、まあ、やっとの受賞だったと思います。

この本は、「海の見える理髪店」ほか5編の短編小説が収録されています。どれも、秀逸の家族小説です。ぼくは、こういった小説が好みようです。収録されている「成人式」は、ちょうど、地下鉄の通勤時にクライマックスを迎えてしまい、またまた、目がうるうるしてきて、ぽたりと手の上に水滴が落ちてしまいました。こういうの(読むと解ると思いますが・・・・)弱いのです。

いつものように、話はコロリと変わりますが、最近、とくに多いニュース。幼児虐待と高齢者ドライバー事故。

幼児虐待は、実の親が「何故、わが子」を?というのは、共通の疑問だと思います。事件のたびに、児童相談所が記者会見をおこなって謝罪そして原因究明・再発防止などを説明していますが、根本は、なぜ、親が「そのような行為」を行ったかです。その原因は千差万別なのでしょう。したがって、やはり、社会全体として、未然防止機能を働かせるしかないのでしょうか。

高齢者ドライバー事故は、幼児虐待と違って、簡単でしょう。75歳(後期高齢者)は、免許を返上すれば行為者がいなくなるので、すべて解決です。たぶん、75歳ぐらいになると、車の購入費、維持費とタクシー利用代では、タクシーの方が安上がりでしょう。ぼくは、タクシーチケットの契約をして、タクシー利用に切り替えようと思います。でも、そのときに、たぶん、自分は大丈夫だから、もう少し、と思うのでしょうね。

話を元に戻して、「海の見える理髪店」・・・タイトルから少し優しい雰囲気の小説だと推測できます。

『その理髪店は海辺の小さな町にあった。駅からバスに乗り、山裾を縫って続く海岸通のいくつかめの停留所で降りて、進行方向へ数分歩くと、予約を入れた時に教えられたとおり、右手の山側に赤、青、白、三色の円柱看板が見えてくる。
枕木が埋められた斜面を五、六段のぼったところが入り口だ。時代遅れの洋風造りだった。店の名を示すものは何もなく、上半分がガラスの木製ドアに、営業中という小さな札だけがさがっていた。』

僕は、この理髪店に予約を入れて、店主のお任せで調髪をお願いした。普段は、美容院へ行くので、理髪店に来るのは何年ぶりだろう。店主は、調髪の間、自分の歩んできた人生、お店の成り立ちなどを饒舌に僕に話をした。店主には、別れた奥さんと一人息子がいたそうだ。

『それにしても珍しい場所につむじがおありですね。ええ、つむじっていうのは、お一人お一人違います。いえいえ、変わるものではありません。こういう仕事をしていますから、違いはすぐに分かります。
最後までよく喋るジジイだとお思いでしょう。いつもじゃありませんよ。こんなことまでお話ししたのは、お客様が初めてです。あなただけは話しておこうと思って、もう私、そう長くはないでしょうから、」』

 
聡明な読者の皆様、「僕」が誰だか、「店主」が誰だか、もうお解かりでしょう。そして、二人は名乗りあうこともなく、「僕」はしずかに店を出て行きます。さいごに、店主から、『あの、お顔を見せていただけませんか、もう一度だけ、いえ、前髪の整え具合が気になりますもので。』と、この最後のフレーズで、ぼくの涙腺は、我慢の限界を超えました。

「蜜蜂と遠雷 上・下」

蜜蜂と遠雷 上・下」
恩田 陸
平成31年4月10日初刷発行
冬幻舎文庫

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予告どおり、「蜜蜂と遠雷」。2017年の直木賞本屋大賞のダブル受賞した作品。わりと、早く文庫本になりました。まあ、2年ほど待ったということです。単行本は高いし、重いので、最近は、単行本の新刊本はぐっと我慢して、文庫本になるのを待ち望んでいます。ところが、単行本は、1,944円。文庫本は、2冊で1,576円。その差△368円。早く読めるという時間便益を考慮すると、単行本でもメリットあり。ですが、重いというネガティブを考慮すると・・・・まあ、どっちでもいいか。

ということで、余談ですが、今月号の文藝春秋に、ぼくと同じ意見の論評がありました。「働き方改革が日本をダメにする」(丹羽宇一郎伊藤忠商事の代表、そして、前中国大使。「仕事を制限することは幸福を制限することだ」・・・おっしゃるとおり。「24時間働けますか?」(昔懐かしい「リゲイン」のテレビCM)働く世代の働き方を規制して、一方では、シニアに70歳まで働けという政府の方針には、まったく、理解も同意もできません。

若いときは、身を粉にして働いてこそ、そこに幸福感がある。やがて、シニアになったとき、あのときの苦しかったことを思い出し、そして、仲間と手柄話をする。つまらないという人もいるかもしれないが、それが、昔から、人の生き方ではないかな?手柄話の一つもできないのは、ぼくは、不幸だと思います。

シニアが70歳まで働くことを否定するわけではありませんが、国が強制することではないし、この調子では、65歳すぎてフラフラしていたら、白眼視されそうです。要するに、「働く世代の働き方規制」、「シニア世代の働き方強要」は、個人の幸福を制限することだということです。政府が、ことさら法律で縛らなくても、自由経済のなかで、「見えざる手」が動きます。

そこで、「蜜蜂と遠雷」。ピアノコンクールをモチーフにした小説です。モデルになったのは、浜松ピアノコンクールらしいです。

『ステージドアが開いた。
ぞろぞろとオーケストラの団員が、舞台に吸い込まれていく、客席の喝采が、さざなみのように伝わってくる。
ああ、音楽が満ちていく。
亜夜はそう感じた。
流れのように一人一人の音楽がステージに流れ込んでいき、ひたひたとステージの上に満ちていく。
満々と湛えられた音楽を、あたしたちは世界に向って流し出す。観客の心という河口を目指して、・・・・・・
さあ、音楽を。
さあ、あなたの音楽を。
さあ、これから私たちの音楽を、と、
亜夜はかすかに微笑んで頷き返す。』

 バッハ、ベートーベン、リスト・・・学校の音楽の授業で習った作曲家のピアノ曲。まったく、知らないタイトルが並ぶ。プロコフェエフ「ピアノ協奏曲二番」・・・知らない。でも、その曲からイメージされる情景が小説のなかを流れていく。クラッシクを聴きながら、そんな経験はないよ。でも、聴きながらイメージできたら、いいね。

この小説を読んだら、クラッシックが聴きたくなる。きっと、あなたも!