「しまなみ幻想」
内田 康夫
文春文庫
2011年3月10日第1刷
590円
管総理が、漸く、退陣します。彼のエピソードを一つ、ご紹介しましょう。これは、知人から聞いた話ですが。3月11日の震災の日、官邸には、いち早く東電職員が招聘されて、官邸の支持を待っていたそうです。このことは、何を意味するのでしょうか?福島原発事故への対応を、官邸は、直接、東電に指示していたということです。本来ならば、経産省が、その役割を担います。行政機構とは、そういうものです。ところが、民主党の政治主導とは、あくまで、官僚排除にあったのです。管総理は、究極の、官僚排除も原理主義者だったのでしょうか?これが、これまで、行政機能を麻痺させ、混乱させる最大の原因のようです。だから、与党も野党も、管総理は、行政の長としての資質に問題があると声を揃えて言っているということです。要するに、国民は、中途半端な政治家を総理にしてしまった。結局は、国民の責任です。
国民の一人として、責任を痛感していますが、後戻りは出来ず。ただ、弱い国民は、政治に絶望し、「浅見光彦」と「しまなみ海道」での探偵物語に現(うつつ)を抜かすのみです。
『瀬戸内しまなみ海道は本州・四国を結ぶ三つ目のルートとして、1999年五月一日に開通した。広島県尾道市と愛媛県今治市のあいだに点在する九つの島々に、十本の橋を架け、高規格道路を建設した。このルートの特徴は自動車専用道路として供用するのと同時に、自転車と歩行者のための側道を設けたことだ。「歩いて渡れる「海の道」」という観点から、「しまなみ海道」と命名することが、計画段階から決まっていた。』
村上咲枝の母美和が、来島海峡大橋から投身自殺した。その死体は、能島沖で発見されました。目撃者は、伯方島在住の女性です。警察は、事故死と断定。ところが、美和の三回忌を過ぎた頃、この事故の目撃者である女性が、自動車事故で亡くなりました。その頃、ピアノのレッスンで上京していた咲枝と光彦が、偶然、ピアノ教師の島崎香代子の縁で出会います。光彦と香代子とは旧知の間柄でした。いつも、出会いは、突然であり、偶然でもある。光彦は、咲枝の母美和の事故を知り、また、咲枝の様子から、何か心に引っかかることを感じます。こうなると、光彦は、すぐに、この事故の調査を開始して、奇妙な偶然の2つの事故の事実を知りました。これからは、何時もの通り、光彦の足は、早速、「しまなみ海道」に向かいます。
『「お母さんを最後に目撃したのは、伯方島の女の人でしたね」
「ええ、その人が来島海峡大橋の上で、通りすがりに母を見たって言っているんです。」
「ところがね、その目撃談だって、真実かどうか疑わしいかもしれない」
「えっ、そうなんですか?」
「あくまで可能性の問題ですけどね。警察はその女性の目撃談を信用するに足るとものと判断したから、・・・」
「警察の仕事って、そんなにいい加減なものなんですか?」
「いい加減ということはないけど・・・」
「われわれは警察と違って、先入観に惑わされないようにしなければならない。あらゆる可能性を視野に入れて、真相を追及する。いいですね」
「はい」
浅見は「それじゃ」と手を差し出した。咲枝もすぐに反応して、テーブルの上で握手を交わした。
「世界最小の探偵団の誕生ですね」』