「遠い花火」
辻井 喬(たかし)
岩波書店
2009年2月13日第1刷
1900円(神戸市立西図書館)
辻井喬の名前よりは、堤清二の名前の方が、世に知られているでしょう。堤清二は、西武グループの創業者の堤康次郎の次男です。三男の義明は、西武グループの不動産事業、鉄道事業を引き継ぎ、また、プリンスホテルに代表される観光事業、そして、西武ライオンズのオーナーとしても知られています。一方、清二は、義明の異母兄で、百貨店に代表される流通部門を引き継ぎ、セゾングループとして成長させました。義明が、スポーツ、清二は、辻井喬のペンネームで、小説や詩を多数発表して、文化人経営者と評されていました。しかし、兄弟が競うように巨大化した二つの西武は、バブルの崩壊とともに潰えてしまいました。
さて、小説「遠い花火」。主人公の僕(ドクター富永啓作)は、栄生命保険会社の顧問島内源三郎から、彼が、書きためた備忘録などの資料を材料として、言行録の執筆を依頼されます。補佐役として、A大で現代史を教えている尾鍋山彦君、もう一人は島内氏の遠縁にもなる志井田敦子君が紹介されました。もう一人、島内氏の秘書伝重夫氏もメンバーになります。僕は、言行録の執筆に入る前に、島内氏の生い立ちから現在に至るまでの系譜を調査することとしました。そのうちに、島内氏が妻を亡くした後に親しくしている画家の久藤幸子の生い立ちが、島内氏の過去の経歴と関係があるのでは、との興味を抱くようになりました。そして、舞台は、奄美大島へ。
『山路八重は美樹の質問にたじたじになった僕をニコニコして面白そうに見ていたが、
「俳句を再開なさいませ、私の句会に参加なさったら、初心者でも恥ずかしがる必要がないのが句会のいいところよ」
と真顔になり、
「そう、この秋には奄美へ吟行を計画しているわ。それに参加なさったら」
と、自分の思いつきに膝を打つ感じになった。
「私がご案内いたします」
と美樹も山路八重に口添えする姿勢で、
「奄美大島には平家の遺跡もありますし」
と僕にとっては意外なことを言いだした。
「ヘイケというと、あの源氏・平家の?」
と質問したのに答えて、美樹は、壇ノ浦で敗れた平家一族のなかで、平資盛一行がまず喜界島に逃げ、三年間その島で暮らしてから、より安住の地を求め奄美大島まで来て、行盛は龍郷町に、有盛は名瀬に総大将の資盛は九州から一番遠い加計呂麻(かけろま)島に城を築いたと説明した。
「ですから、奄美には平姓が多うございます。言葉にも当時の京の雅び風が土地の言葉と混ざっております。」』
小説自体は、うむ。はっきり言って、面白くない。何と言うか、お金持ちの道楽小説というか?自分が満足して、読者を楽しませるものとは、違う。こういった小説を、純文学とか、何とか、言って持ち上げる人もいるのでしょうが、私は、読書は、娯楽の一つであり、読者が、楽しまなければ意味がない、と考えています。そう言えば、今年は芥川賞の該当者なし。石原慎太郎の選考評は、厳しいものでした。しかし、この言葉には、小説の神髄がある。と、そう思います。
『小説の魅力なるものは題材が何であろうと作品が醸し出す身体性に他なるまい。つまりどんなに小器用に出来あがっていようと、読む者がある種の共感を抱き得るものがなければ作品として成り立ちえない。
小理屈つけてこれを持ち上げる選者もいるにはいたが、私としては文書を使ったパズルゲームに読者として付き合う余裕はどこにもない。』