影絵の騎士

影絵の騎士

「影絵の騎士」大沢在昌(オオサワ アリマサ)著。大沢さんの代表作は、「新宿鮫」だったと思います。私は、読んでいませんが、映画やテレビでも放映されたと思います。「影絵の騎士」は、小説すばるに2002年から2005年の3年間にかけて連載された長編小説です。こういったジャンルの小説をどのように表現すればいいのか解りませんが、昔で言えば、ハードボイルド小説とでも言うのでしょうか。
時代は、2048年の日本の東京で、そこで繰り広げられるある事件を題材にしています。東京は、今のお台場がアイランドと呼ばれ、そこに原子力発電所ができて、その周辺は、ムービーのみの世界(ハリウッドのような世界)になっています。東京は、多人種のるつぼとなり、荒廃しきっていますが、ピーと呼ばれる警察によって治安は、表向きは回復しつつありますが、裏では銃とドラッグの世界が蠢いています。
主人公は、ケンヨヨギ。両親を知らない出生であり、小説の中ではホープレスという特別な人種として荒廃した東京で育ちます。その後、腕ききの調査員として名を馳せますが、小説の初めでは、調査員を引退して、小笠原で静かな生活を送っていました。そんな彼に、アイランドでムービーの仕事をしている友人から、ある仕事の依頼があります。小笠原の生活に物足らなさを感じていたケンは、本土に渡ります。そこから、依頼を受けた調査を始めますが、その調査の過程で様々な事件に巻き込まれます。
ムービーの世界は、ロシアマフィアとチェチェンマフィアで牛耳られており、ネットワーク(今のテレビジョン)の世界は、日本人によって運営されていますが、事件は、このムービーの世界とネットワークの世界の確執、闘争に発展していきますが、そこに、多くの犠牲者が出てきます。ケンは、その中で、2つの世界の闘争の中核で、その闘争の本質を解き明かそうとします。小説は、ケンのその調査行動をハードボイルドに描いて行きます。ケンのアクションは、007のジェームス・ボンドの世界にも似ています。まったく、荒唐無稽な出来事やアクションが、次は何が起こるのだろうかという期待感を持たせ、一体、この先、どうなるのだろうかというサスペンスの連続で小説へ引き込まれる感じを受けました。
一方、ムービーについての大沢さんの思いが小説の中に表現されているようです。例えば、作中に、次のような会話の一節があります。

「絵画や文学は、それを創造した人間の満足が金銭的な報酬を上回ることが許される。しかし、ムービーは違う。多くの人間が携わり、生活をかけている以上、投下した資金は回収されなければならない。さもなければ、誰もムービーなど作らなくなる。ビジネスであることが第一なんだ。技術であるかどうかは、次に考えるべき問題だ。なぜなら、優れた芸術が必ずしもビジネスになるわけではない。悲しい事に観客とはそういうものだ。芸術を期待してお金を払うより、払ったお金に見合う興奮や感動を求めている。それは似ているようでまったく違う。」

尾道への出張の新幹線の中で、居眠りする予定だったのが、この小説の世界に引きずり込まれ、居眠りもせずに読み進んでしまいました。私は、このジャンルの本は、あまり読むことはありませんが、ハードボイルドなはでなアクションシーンの表現も重要ですが、それ以外の部分に作者の小説で主張したいオピニオンが隠れているものです。私は、この小説で、作者は、先ほど紹介したムービーについての芸術論を、そっと紹介したかったのだと思います。