「あ・うん」

「あ・うん」

「あ・うん」
向田 邦子
新潮文庫
平成3年年7月25日発行
590円

向田邦子さんは、昭和56年に台湾で発生した飛行機事故でお亡くなりになりました。それまでに、放送作家として、多くの脚本を書かれています。どなたでも、一度は、テレビで彼女のドラマを見たことがあると思います。一例をあげると、「ちん・とん・しゃん」「時間ですよ」「だいこんの花」「パパと呼ばないで」「寺内貫太郎一家」などなど数え上げればきりがありません。
その中で、昭和55年NHKドラマ人間模様として放映された「あ・うん」の文庫本を選びました。これは、朝日新聞のー重松清さんと読むー百年読書会の6月の課題図書です。私の投稿した感想は次のとおりです。

『門倉修造と水田仙吉の友情と家族を含めての「お付き合い」は、とてもうらやましく思います。門倉と仙吉は、「寝台戦友」です。軍隊という異常な心理状態での友情は、こんなにも強い絆を生むものでしょうか。
毎日、家と会社を往復するだけのサラリーマンは、会社の上司、同僚、部下とのアフターファイブはあっても、会社以外の友人は、なかなか居ません。学生時代の友人も、長く離れてしまうと、同窓会などでの一時の盛り上がりはありますが、時間とともに共通の話題がなくなります。
門倉と仙吉のような友人関係は、何人も必要ありません。たった1人でも、そういう関係の友人がいれば、もっと、潤いのある生活になるかもしれません。
しかし、そう思う一方では、家族以外に家族同様の友人との関係は、仲の良く面白い時もあれば、喧嘩して癪に障る時もあり、また、病気や怪我を心配するときもあるでしょう。それを潤いと思えるかどうか。』

つまらない、そして、ありふれた感想を投稿してしまいました。ほかの方たちの感想を読んでみて、私の本の読み方に問題があること痛感しています。読み終えた後に、すぐ次の本を読むのではなく、読後に、もう一度、パラパラと本をめくりながら、その本に浸る時間が必要です。反省しています。
さて、時代は、昭和10年代です。門田修造は、妻の君子との生活とは別に、1号さん(禮子)、2号さん(まり奴)を囲っている戦争特需で儲けている実業家ですが、君子には、子供ができません。一方、水田仙吉は、小さな製薬会社のサラリーマンです。妻のたみと娘のさと子の3人暮らしですが、修造は、度々、仙吉の家を訪れて、兄弟同様の付き合いをしています。ドラマの舞台は、多くが、仙吉宅の居間です。
ちょっと、おかしなことに、修造は、仙吉の妻を密かに想っています。そのことを、仙吉、君子、たみ、さと子、みんなが何となく感じています。さと子は、修造のそんな想いをプラトニックラブと呼んでいます。仙吉、たみ、君子の三人でこんなやり取りがあります。

『君子、たみと向かい合う。
君子「・・・奥さんのおっしゃることだけは、主人、聞きますもの。そうでしょ」
たみ「・・・・」
仙吉「(自分を指して)立ててくれてんですよ。友達の女房・・・何ていうか」
君子「(仙吉にはとりあわない)今までも、別れようと何度も思ったわ。こんな暮らしは夫婦じゃない。でも・・・あたし・・・主人に未練があって・・・惜しくて。人にやれないの。いまも地獄だと思うけど、別れたら、もっと地獄だろう・・・たしかにこんな暮らしは、夫婦じゃないけど・・・世の中には、ずい分不思議な夫婦もいる。よその男が、自分の女房に夢中なことを知っていながら、仲よくつきあって」
仙吉「(さらりと)おい、りんご、あったじゃないか」
君子「りんごもりんごよ。」
言ってしまって、吹き出してしまう。
君子「やだ、あたし、奥さんも奥さんよっていったつもりで・・・」
たみ・仙吉「(笑う)」
仙吉「りんごもりんごか」
・・・・
仙吉「おかしな形は、おかしな形なりに、均衡があって、それがみんなにとってしあわせな形ということも・・・あるんじゃないかなあ」
君子「ひとつが抜けたら」
仙吉「みんな、つぶれるもんじゃないですか」
たみ「・・・」』

「おかしな形は、おかしな形なりに、均衡がある」この仙吉の言葉は、夫婦、会社、学校など、どこでも人間関係のある社会では、当てはまるこ言葉です。こんな関係は、可笑しいの一言で、「おわり」にしてしまうのか。「均衡」と考えるのか。
はじめて、ほんとうに、はじめて、ドラマの脚本を読みました。読み始めたとき、何だか、小説とは勝手が違うな、と感じましたが、どんどん、ドラマのシーンが、頭の中で浮かんできて、どんどん、引き込まれていきました。
ちなみに、仙吉・・・フランキー堺、門倉・・・杉浦直樹、たみ・・・吉村実子、君子・・・岸田今日子、禮子・・・池波志乃、まり奴・・・秋野暢子、でした。