「漱石の長襦袢」

tetu-eng2010-12-05

漱石長襦袢
半藤 未利子
文藝春秋
2009年9月15日第一刷発行
1500円(神戸市立西図書館)

夏目漱石は若い時から愛読した中国の『蒙求』という書物にある「漱石枕流」という有名な故事から筆名をとったのである。故事によると、秀才の誉れの高い孫楚という男が、隠遁を決意し、親友の王済に心境を語るに、俗世を離れて自然と親しむという意の「枕石漱流」という言葉を、ひょいと言い間違えて「漱石枕流」と言ってしまった。王済はカラカラ笑って、「流れに枕することはできぬ。石で口を漱ぐことはできぬ。そんなこっちゃ、隠遁なんて無駄なことよ」と言った。すかさず孫楚は「流れに枕するのは耳を洗うためであり、石に漱ぐのは歯を磨くためである」と屁理屈をつけて反論した。このことから「漱石枕流」というのは「負けず嫌い」「へそまがり」という意味にもちいられるようになった。』

漱石の筆名の由来は、有名な話です。半藤未利子さんは、漱石の長女筆子の娘、漱石の孫にあたります。漱石は、細君の鏡子とのあいだに7人の子供に恵まれました。長女の筆子、次女の恒子、三女の栄子、四女の愛子と二年おきに女児4人が続き、漸く、長男の純一、二男の伸六と男の子に恵まれます。そして、五女のひな子。孫は、未利子さんを含めて15人。曾孫、玄孫もいらっしゃるのは、漱石没が1916年ですから、当然でしょう。未利子さんの母君の筆子は、漱石門下の小説家の松岡譲と結婚して、未利子さんは、歴史家の半藤一利と結婚されています。純一の長男房の介は、マンガコラムニストとして、テレビでもたまに見受けますし、「漱石の孫」という随筆も出版しています。
漱石に関する研究本その他の本は数限りなくあります。私も数冊を所蔵して、漱石の人となりを知る上での参考としています。身内の方が書かれたものも多数あります。孫の未利子さんは、1935年生まれなので、漱石の存命中に祖父と接する機会はなかったのですが、母君の鏡子から聞いた話などを数編の随筆、雑文として、収録したのがこの本なのでしょう。国民的な小説家夏目漱石の素顔の生活を知る一つの本だとも言えます。
漱石の年譜を追ってみると、1895年(29歳)に鏡子と結婚、当時としては、晩婚だったのでしょう。1899年(34歳)に長女筆子の誕生、これも、当時としては、遅い子供の誕生でしょう。1916年(49歳)漱石没。1919年筆子、松岡と結婚。1935年孫未利子誕生。漱石は、7人の子宝に恵まれながらも、眼の中に入れても痛くない孫の顔を見ることも、抱くこともできなかったのです。

『六月には待望の長男が誕生した。二年おきに女児4人続いて生まれ、三女、四女が生まれた時には些かあきれもうんざりもして、「エイッヤッ」とばかりに栄子愛子と名付けたという伝説が生まれたほどであったから、初めて男の子を授かった漱石の嬉しがりようはいかばかりであったか。
 私の母筆子(漱石の長女)が学校から帰ってくると、漱石を先頭に「男の子だ、男の子だ」と家中が活気づいていたという。漱石の並外れた喜びように、三重吉(漱石門下の鈴木三重吉)と豊隆(漱石門下の小宮豊隆)が大きな鯛で祝ってくれたので鯛一と名付けられそうになったが、長男は純一と名付けられた。』

毎年、1冊は漱石を読んでいますが、今年は、何故か、まだ、漱石を読んでいません。そろそろ、漱石に回帰する頃かな。年末に向けて「猫」にしようか?「虞美人草」にしようか?うん、「虞美人草」を読むこととしましょう。