第百五十二回芥川賞受賞作品です。
直木賞は、西加奈子さんの「サラバ」ということで、こちらは、すでにおなじみの作家さんです。僕も、読んだことがありますが、もう、新人作家ではありませんね。
小野正嗣さんは、最近の新人作家さんでは、珍しい経歴の方です。大分県生まれ、東京大学教養学部卒業。同大学院博士課程修了。文学博士。現在、立教大学文学部准教授。ということです。芥川賞を機会に、作家の道を進むのか、それとも、学者の道を進むのか?
舞台は、著者の出身地の大分です。島の名前など地名が、いろいろ出てきますが、実在するのかどうかは、わかりません。特に、主人公が、文島に、厄除けの貝殻を採りに行くのですが、多分、実在すると観光地になると思いますが・・・・?
「さなえ」は、カナダ人との間に生まれた希敏(けびん)を連れて、さなえの両親の住む故郷の大分に戻ってきました。シングルマザーの帰郷は、両親にとっても、また、地元の人たちにとっても、なにかと、好奇の的になるものです。
『「ここがママのふるさとよ」と息子のくしゃくしゃの亜麻色の髪に唇を寄せてささやいた(息子が理解していないのはわかっていた)。沖合に二つの島があった。陸地に近い方が黒島で、そのさらに沖にあるのが文島。さなえの母は、この文島の出身だった。二つの島は、陸地を振り切って大海原に飛び出そうとしているように見えた。逃がしてたまるものかといくつもの岬が、たがいの邪魔をしながら、島々に執拗に追いすがり伸びていく-------入り組んだ海岸線はそうやって生まれたのではないかとさなえは夢想した。』
リアス式海岸の複雑な地形の描写です。単に「複雑な海岸線」とは描写せずに、「逃がしてたまるものかといくつもの岬が、たがいの邪魔をしながら、島々に執拗に追いすがり伸びていく--------入り組んだ海岸線」。こういった風景描写が、文学的なのでしょう。少なくとも、僕には、書けませんね。
さなえの母も父も、孫の希敏(けびん)をかわいがります。でも、なかなか、懐こうとしません。希敏(けびん)は、発作的に「引きちぎられてのたうつミミズ」のように泣き叫ぶのです。そんなことが、何度も繰り返されます。
あるとき、さなえは、「みっちゃん姉」の息子が入院していることを母から聞きました。若い時、地元の海外視察団で、一緒に、カナダに行った「みっちゃん姉」。そこで、お見舞いに「文島の貝殻」をもっていくこととします。ここから、カナダの回想と希敏(けびん)と一緒に貝殻を採りに行く現在とが入り乱れます。
『母の生まれた故郷である文島にはいくつもの入り江があった。なかでも人家のない南東の小さな入り江は地元では有名で、そこにある砂浜で見つかる美しい色と模様の小さな貝殻には、厄除けの効能があると昔から言われていた。さなえの家でもむかし、その砂浜で集められたピンクや紫やコーヒー色の小さな貝殻を収めたガラスの小瓶が仏壇に置かれていた。』
さなえが、カナダへ行ったのは、ちょうど、九年前。さなえの九年前の回想とハーフの子を抱えた現実。その間に、さなえの「どのような祈り」があるのか。
貝殻といえば、「最後から二番目の恋」では、中井貴一が演じる長倉和平は、鎌倉の海岸でさくら貝を採ってビンに入れていました。貝殻には、人の思いを寄せる何かがあるのでしょうか?