土恋

「土恋(つちこい)」
津村 節子
筑摩書房
2005年10月10日発行
1600円

「土恋(つちこい)」という言葉は、津村さんの造語でしょう。広辞苑を引いてみても、該当する言葉はありません。津村節子さん。本名は、吉村節子。故吉村昭さんの細君ですが、吉村昭さんが、幾度も芥川賞候補になりながら、ついには、受賞できませんでしたが、細君の節子さんが、「玩具」で芥川賞を受賞したことは、世間に知れた逸話です。
みほは、佐渡相川の旅館で生まれました。27歳まで、実家の旅館を手伝い、嫁ぐ機会を失っていましたが、伯父仙蔵の紹介で新潟庵地地区の北野啓一とお見合いをして、結婚します。しかし、そこに待ち受けたのは、みほにとっては、大変な暮らしでした。

『夕食は塩鱒や塩鰯などばかりではなく、たまには生の魚を出したいと思うのだが、北野家の食生活は思いのほかつつましいものであった。みほの作る料理をみなおいしいとほめながら、少し贅沢過ぎると思っている様子である。
「忙しいすけ。あんま食事に手間をかけねばっていい」
と啓一に言われた時、手間ではなく、お金であろうと、とみほは思った。』

この小説を読んでいて、まず、気付くのは、話し言葉が、すべて新潟の方便で書かれていることです。そのためには、新潟の方便を、しかも、戦後すぐの方便について相当な研究をされたのでと思います。現在では、私の新潟出身の友達でも、これほどまでの方便を使うことはありません。それと、北野啓一は、北野窯という登り窯で、陶器を制作する陶工ですが、陶芸についても、相当な研究をされています。
みほと啓一の生活は、順風満帆ではなく、啓一の北野窯は、新潟を襲った様々な天災により被害を受けます。また、不渡り手形などの人災にも合ってしまいます。それでも、みほは、啓一を励まし、北野窯を守っていくのです。

『「窯は、小さいのでええですで。土はまだぎょうさんありますでの。もう大物はやめて、食器だけ作って下せえの。おめえさんの食器は日本一使い易いけえ、少し高こうしても、おめえさんしか作れね食器を作れば、必ずお客様がつきますっちゃ。」』

「土恋」のタイトルは、陶芸にとって、土がいかに大事であるかを表現した造語だと思います。まさに、啓一は、土に恋をしたようなものです。また、そういう啓一を想うみほも、土に恋をしたのでしょう。

『一輪車に山いっぱいに盛り上げた土を土干し場に運んで一山、一山、と並べてゆき、その山が平らになるように両手で広げる。この時、道具を一切使わずに、五本の指を熊手のようにひろげて指を立て、土を平らにならすのだ。
「とうちゃん、なんして道具を使わねん。土をならす道具を工夫すれば効率がいいでねんろっか」
山形のきざみをつけた横長い板に柄をつければ、十本の指よりも幅広くならせる。
「道具なんかでは駄目だでば。土が湿っているすけ手で細かくほぐし、指の長さで土の厚さを計りながらしねばね。道具では下の地面をいためてしょもう。横着なことを考えねばってもいい」』

新潟の風土、方言、そして陶芸の世界を、みほと啓一の生活を通じて、読者に楽しませてくれる本でした。実は、吉村節子さんは、「やきもの」に強い関心をお持ちで、「やきもの」をテーマにした紀行文を執筆されている。この小説も、その紀行文で紹介された「新潟の庵地焼の3姉妹の窯」の黒釉の面取急須と湯呑がどのような工程で作られるかの取材から生まれたものです。