「仏果を得ず」

仏果を得ず

「仏果を得ず」
三浦しをん
2007年11月25日発行
1500円(神戸市立西図書館)

小説って、ほんとに勉強になりますね。読者を、知らない世界に誘ってくれます。「仏果を得ず」は人形浄瑠璃太夫の話です。文楽浄瑠璃?っと、さっぱり、その世界のことは知りません。文化勲章人間国宝などの話題の時に、耳にしますが、どうにも、ハッキリとは知識としてありません。残念ながら、観覧したこともありません。
そこで、豆知識。まず、「文楽とは、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃を指す代名詞的存在である。」文楽って、劇場のことだったのです。そういえば、大阪の日本橋国立文楽劇場があります。
次に、「浄瑠璃とは、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲である。代表的な流派には、義太夫節常磐津節清元節などがある。」そして、「人形浄瑠璃とは、義太夫節にのせた操り人形で物語を語る伝統芸能人形浄瑠璃文楽)である。」そこまで、学習して、そうそう、淡路人形浄瑠璃を観覧したころを思い出しました。兵庫県大鳴門記念館で「傾城阿波の鳴門」を見ました、見ました。「ととさまの名は?」「ととさまの名は、十郎兵衛。ははさまの名はお弓。」なんて感じだったと思います。
文楽は男性によって演じられる。太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸である。客席の上手側に張りだした演奏用の場所を「床」と呼び、回転式の盆に乗って現れた太夫と三味線弾きが、ここで浄瑠璃を演奏する。」ということです。
さて、小説は、笹本健(たける太夫という若手の太夫が主人公です。ストーリーは、至って単純といえば、単純。健が、太夫として精進して、1人前の太夫に成長していくというお話です。もちろん、その過程に、恋あり、笑いあり、で面白い。そのうえ、文楽が、少しは、理解できたような気がします。
小説の章立てが、いかにも文楽です。演目として、「一、幕開き三番そう」「二、女殺油地獄」「三、日高入相花王」「四、ひらかな盛衰記」「五、本朝廿四孝」「六、心中天の網島」「七、妹背山婦女庭訓」「八、仮名手本忠臣蔵」となり、それぞれ、健太夫が、精進する演目となっています。
最後の演目「勘平腹切りの段」

『「汝が心底見届けたければ、その方をさし加え一味の義士四十六人。これを冥土の土産にせよ」
 「勘平これさ勘平。さあ、血判」
 「さあ血判、仕つた」
 「思えば  この金は、縞の財布の紫摩黄金。仏果を得よ」
 「やあ仏果とは汚らわし。死なぬ。魂魄この土に止まって。敵討ちの御供する」
 「さらばさらば、おさらばと、見送る涙、見返る涙、涙の浪の立ち返る人もはかなき次第なり」』

と。お軽、勘平を語って、この物語の幕となります。何だか、文楽ファンになりそうです。