「木練柿(こねりがき)」

「木練柿」

「木練柿(こねりがき)」
あさの あつこ
光文社
2009年10月25日発行
1600円(神戸市西図書館)

昨日、友人の入院お見舞いに西神戸医療センターに出かけました。同年代が、胃がんで入院して、3分の2の摘出とのこと。何となく、お腹のあたりがむずがゆくなる話です。9月22日に入院、24日に手術。10月5日には退院するとのこと。2週間足らずの入院生活ですが、ご苦労様でした。とても、胃を摘出したとは思えない元気さで、まずは安心しました。それにしても、最近の医学の進歩は目覚ましいものがあります。胃の摘出手術で2週間足らずの入院ですからビックリします。そうは言っても、これから食事のこととか、日常生活で気をつけなければならない事があるのでしょう。と、思っていたら、本人は、いつから酒が飲めるかなと、至って暢気なことを言っているので、これまた安心ということでしょう。
あさのあつこ」さんと言えば、「バッテリーシリーズ」という少年野球を題材とした児童文学が有名だったので、時代小説を書いていたとは驚きでした。しかも、「弥勒の月」「夜叉桜」と同心小暮新次郎と商人遠野屋清之介を主人公とするシリーズものになっているので、また、ビックリでした。「木練柿(こねりがき)」は、このシリーズの3作目です。時代小説、大衆小説の大御所では、柴田練三郎(通称「しばれん」)さんなど30年前ぐらいに読んだものですが、最近、諸田玲子さん、宇佐江真理さん、北原亜以子さんなど女流の作家が活躍されています。「あさのあつこ」さんも、時代小説のジャンルへの新しい風となるのでしょうか。

『枝先に柿の実が幾つもついている。さして大きな物ではないけれど、三つも四つも五つもぶらさがり実を結んでいるものだから、細枝はたわみ、今にも折れそうだ。
 釣瓶を落とすように暮れて行く秋の夕暮れのほんの一時、中空は茜と朱色のあわいの色に染まり、群れをなして飛び過ぎる鳥の影を黒く浮き立たせていた。
 地に注ぐ光を受けて柿が照り映える。食べ頃に熟れているのだろう艶やかな柿色が眼に沁みる。赤蜻蛉が一匹、枝の先端に実を結んだ一際美しい照柿に止まった。』

きれいすぎる情景描写で、これが女流の由縁でしょうか。広辞苑によると「木練柿(こねりがき)」とは、「木になったままで甘くなった柿の実。練柿。」のことだそうです。第1話は「楓葉(ふうよう)の客」、第2話は「海石榴(つばき)の道」、第3話は「宵に咲く花」、そして第4話が「木練柿(こねりがき)」と、それぞれこれも綺麗なタイトルがつけられています。「楓葉」は、「紅葉したカエデの葉」のことで、「海石榴(つばき)」は、「椿」のことです。いずれも、広辞苑のお世話にならないと意味が不明でした。
刀を捨てた商人の遠野屋は、何かしら事件に巻き込まれる。そこに、現れるのが同心の新次郎と岡っ引きの伊佐治です。遠野屋と新次郎は、仲が良いのか悪いのか。いつも、2人の間を伊佐治が取り持ちます。それでも、2人の事件への目の付けどころは、いつも同じ。2人は、お互いを認め合いながらも、何かしら相容れないものがあるのか、ないのか。

『あながち的外れではないかもしれない。と、伊佐治は思うのだ。人の心を掴み、揺すり、操れたからこそ、遠野屋はここまでのびてこられたのではないか。商いは人が動かねば成り立たない。人を動かし、品を商う稀有な才覚をこの男は確かに掌中にしているのだ。それはむろん慶することではある。あるが・・・人の心を容易く操れる力が商人の枠に納まっている内はいい。枠を超えて流れ出せば、どうなるか。
 悪寒がする。
 新次郎の視線とぶつかった。口元に薄笑みを浮かべている。伊佐治の心の内を透かし見た笑みだ。
 さらに悪寒がする。
 新次郎のように容赦なく相手を切り裂き、臓腑ごと真実を引きずり出そうとする男と遠野屋清之介のように柔らかく包み込み意のままに操ってしまう男と、さて、どちらが危殆なのか。
 どっちもどっちか。』