「星と輝き花と咲き」

tetu-eng2013-01-06

「星と輝き花と咲き」
松井 今朝子
講談社
2010年年7月1日発行
1500円(税別)(神戸市立図書館)

『人間生きてて何ひとつ無駄なことはあらへん、というのがお勝の口癖である。
 ほんまにそうやろか、と綾之助は思う。いつもそれを聞くたびに疑いたくなる。
 なにしろお勝は嘘つきなのだ。自分の母親だということがまず嘘なのだから、とても信用できない。
 綾之助は本名が藤田園という、まぎれもない少女である。』

 時は、明治の二十年の頃から、この二人の親子の物語が始まります。藤田園は、将来、竹本綾之助の芸名で女義太夫として脚光を浴びることになります。竹本綾之助は、実在の人物であり、女義太夫太夫名跡です。現在、は四代目。特に、初代の綾之助は、今のAKBに匹敵する人気だったようです。この物語は、この初代の綾之助を主人公とした小説です。初代の綾之助は、大阪に生まれ、大阪で義太夫節を習い、やがて上京して、各地の寄席に出演して、人気を博します。その人気は、凄いもので、今で言う「追っかけ」もいたとのことです。その人気ぶりと、ステージママのお勝と綾之助の活躍が面白い。きっと、今の芸能界のアイドルとステージママの先駆けでしょう。

 『浄瑠璃はそもそも浄瑠璃姫と牛若丸の恋物語に始まった語り物で、竹本義太夫という名人の出現によって義太夫節が席巻し、二百年の長きにわたって大阪には欠かせない音曲とされてきた。
 本職の太夫や三味線弾きの多くは今や道頓堀を遠く離れて松島新地の文楽座で興行をしているが、義太夫節を習う素人はいずこの町にも大勢いて、素人天狗が集まると傍迷惑な喉自慢が始まるのは後世のカラオケとよく似ている。』

 浄瑠璃は、三味線を伴奏楽器として、太夫が、詞章(劇中人物の仕草、セリフや背景の描写など)を語る音曲です。例えば、「傾城阿波の鳴門」という浄瑠璃の「アイ、父様(トトサマ)の名は十郎兵衛(ジュウロウベエ)、母様(カカサマ)の名はお弓と申します」。この浄瑠璃の流派に、義太夫節常磐津節清元節などがあり、この義太夫節に操り人形を併せたのが「人形浄瑠璃」で、この人形浄瑠璃を上演する舞台を、「文楽」「淡路人形座」などと言います。今は、「文楽」といえば、「人形浄瑠璃」の代名詞のように使われています。

『「うち人前で浄瑠璃を語るのがすきやねん。そやさかい、そうして生きていきたい」
 お勝は硬い表情をしている。
 「ええか、芸人ちゅうもんは、どんなに汚い連中か、連中と関わり合うたら、どんなえらい目に逢うか、あんたは文楽座にちょっこと出ただけでも、ようわかったはずやろ」
 「そら、ようわかってます。そやけど舞台に出て、浄瑠璃を語りだしたら、すぐそんなことは忘れてしまった。どんな嫌な目に逢うても、好きなことができたら帳消しになると思います。」』

こうして、お園ちゃんこと綾之助は、寄席に出演することとなり、綾之助の贔屓が大勢押し掛けて、「綾ちゃん、待ってました」の声が乱れ飛び、場内が騒然とする毎日でした。それでも、綾之助は、一心不乱に、浄瑠璃を語り、一途に芸の道をひた走るのです。しかし、芸の道は、一筋縄ではいきません。山あり谷あり、「綾ちゃん、頑張れ」。そして、「星と輝き花と咲き」です。