「土佐堀川 広岡浅子の生涯」

tetu-eng2015-12-13

土佐堀川 広岡浅子の生涯」
古川 智映子
潮文庫
2015年9月28日初版

はい、ご存じのとおり、NHK朝ドラ「あさが来た」の原作本です。

えらい人気で、「マッサン」を上回る高視聴率らしいです。それに引き替え、気の毒なのが、大河ドラマ「花燃ゆ」ですが、もう、来週で、最終回です。吉田松陰先生の妹がヒロインなので、長州人としては、何があっても、最後まで、チャンネルを変えるわけにはいきませんでした。

広岡浅子・・・明治の三大女性実業家の一人らしいです。あと二人は、鈴木商店の鈴木米、尾張屋銀行の峰島喜代子らしいです。鈴木米については、城山三郎の「鼠 鈴木商店焼き討ち事件」、玉岡かおるの「お家さん」を読んだので、承知していましたが、広岡浅子と峰島喜代子は、まったく、知りませんでした。

まあ、還暦を過ぎても、知らないことがいっぱいで、まだまだ、多くの本を読まなきゃダメですね。でも、月4冊、年50冊のペースで読んだとしても、あと10年生きられると仮定すれば、500冊か?500人の人、500通りの人生を読むことができるということかな。あ〜、もっと、時間が欲しいね。

さて、ストーリーは、朝ドラを観ている人は、よく承知しているので、くどくど書きません。大阪の両替問屋に嫁いだ浅子は、傾きかけた加島屋の身代を立て直します。ときは、明治維新のまっただ中、先が見通せるかどうか?要するに、想像力と創造力が備わっているかどうかが勝負の分かれ道ですね。

浅子は、まず、産業革命のもととなる資源・・・石炭に目をつけて、九州の炭鉱を買収して石炭事業を興します。次に、銀行です。もともと、両替商なので、これは、テリトリーです。しかし、彼女のやり方は、当時では、革新的な女子行員の教育でした。

ここから端を発して、日本の女性教育の重要性を思い、日本女子大学の創立に尽力します。さらには、事業は保険業へも展開して、現在の大同生命を設立して、土佐堀川に大阪でも一番の大同生命の本社社屋を建設して、社業を拡大していきました。

浅子の人脈は、ときの総理大臣伊藤博文から始まり、当時の政財界の重鎮、多士済々にわたります。つまるところ、この人脈が彼女の成功を導いたように思います。やはり、人と人とのつながりを大事にして、人にかわいがられることが、大切であるということでしょう。

福沢諭吉は、晩年に、「我に莫逆の友はない」と嘆いたそうです。「莫逆の友」とは大親友のことです。さて、ぼくには、「莫逆の友」はいるでしょうか?う〜ん、友達の顔は、何人か、浮かびますが、片思いかもしれませんし、人と人との関係なんて、そう簡単に割り切れるものではないのでしょう。

福沢諭吉が言いたかったのは、最後は自分だけですよ、と言うことだったのでしょうか?ただし、片思いでも、友達は、大事にしなくちゃダメですね。そんなことを考えながら、今、せっせと、年賀状を書いています。