天使の歩廊

「天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―」
中村 弦(ゲン)
新潮社
2008年11月20日発行
1500円(神戸市立西図書館)

なんとも、不思議な心持ちにさせる小説でした。読後に、「かわいそうで、悲しくて」という気持ちでもないのに、何故か、まぶたが熱くなりました。そのわけは、この本を読んだ読者自らが感じてください。著者の中村さんは、この作品が、デビュー作品のようです。第20回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しています。
時代は、明治14年と昭和7年。年号が特定されているのは、目次の章が、この2つの年号になっているからです。目次の章立てから、一風変わった小説であることが、解ります。主人公は、笠井泉二。職業は、アーキテクト(architect)。

『「ろくめいかんをつくったのは、おじさんなの?」子どもが卯崎に尋ねた。
「いいや、おじさんではない。おじさんの先生がつくったんだ。英吉利人のとても偉いアーキテクトなんだよ」
「アーキテクトって何?」
「日本の言葉では、造家師という。造家っていうのは、むかしふうにいえば普請だな。それにかかわる仕事をする人が造家師だ。おじさんもその造家師なんだぞ。」
「ゾウカシ?ゾウカシになれば、ろくめいかんがつくれるの?」
「ああ。鹿鳴館だって、上野の博物館だって、参謀本部遊就館のような建物だってつくれる」
「じゃあ、ぼく、大きくなったらゾウカシになる」』

泉二は、銀座の西洋洗濯屋(いまのクリーニング屋)の次男として生まれ、生来、利発ではあったが、すこし風変わりな子どもでした。東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、大手の建設会社に就職して、欧米への視察出張などを経験しますが、ある事故というか事件を契機に、建設会社を退職し、小石川の自宅でひっそりと1人で暮らしていました。
そこに、ある日、泉二の同窓生であり、彼の唯一で最大の理解者である矢向組の矢向丈明が、彼を訪れます。丈明の用向きは、ある子爵家から請け負った家の建築の設計を依頼することでした。

『「その依頼主が望んでいるのは、どんな建物なんだ?」
丈明は待ちかまえたように身を乗りだした。
「先方が建ててほしいといっているのは、こんな家なんだ。生きている人間と死んでいる人間とが、いっしょに暮らすための家。きみ、そういうものをつくれないかな?」
組んでいた腕をほどいて、泉二は両手を卓にのせた。上半身が前かがみになり、障子の明かりのなかに顔があらわれる。
「生きている人間と死んでいる人間とが、いっしょに暮らすための家?」
「そうさ。なんとも風変わりな依頼だろう?」丈明はにこりと笑った。「この仕事、引き受けてくれるね、笠井君」』

私も、笠井泉二に、自宅の設計を依頼したいものである。「永久(とわ)に、家族が、楽しく、幸せに暮らせる家」「この仕事、引き受けてくれるね、笠井君」