「天地明察(上・下)」

tetu-eng2012-10-21

天地明察(上・下)」
沖方 丁(うぶかた とう)
角川文庫
平成24年5月21日初版発行
552円(税別)

 初めて、書店でこの小説を見た時に、作者の名前が読めなくて、また、日本人ではないのかな?と思っていました。が、純粋な日本の方のようです。ペンネームは、沖方 丁(うぶかた とう)。生まれ年などの暦の用語を並べたそうです。それにしても、変わったペンネームです。沖方さんの小説は、ライトノベル、サイエンスフィクションが中心でしたが、この作品が、初の歴史小説。そして、この小説で賞を総なめにして、映画化も果たしました。何と、吉川英治文学新人賞、2010年本屋大賞など。

 主人公は、渋川晴海。実在した人物であり、ご紹介は、次のとおりです。

『渋川晴海は、寛永十六年(1639)に京都で生まれ十四歳で父の跡をついで幕府の碁所となり安井算哲(二代)と称した。囲碁の研鑽の一方で天文・数学・暦学を学び暦学者となった。
 その頃、日本では中国の宣明暦を使っていたが、二日の誤差があったので、晴海みずから計算して新しい暦を作った。これが貞享(じょうきょう)元年(1684)に官暦となり翌年から用いられ、貞享暦として後の太陰暦の基本となったのである。
 貞享暦は日本人の手で作られた初めての和暦であり、晴海はこの功によって、幕府最初の天文方に任ぜられ、本所(墨田区)に、宅地を拝領した。晴海は、屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測にあたった。これが江戸で最初の天文台である。
 晴海は正徳五年(1715)十月六日に七十七歳で亡くなり、この地に葬られた。
 渋川晴海墓碑の解説より』

 小説は、碁打ちの主人公が、数学に興味を持ち、やがて、天文に興味を持ち、さらには、それが高じて、暦の改定に至るまでの道のりを小説として書いています。

『世に言う、“算額奉納”であった。
 始まりは定かではない。
 当時、算術は、技芸や商売のすべである一方、純粋な趣味や娯楽でもあった。
 機会があれば老若男女、身分を問わず学んだのである。そろばんと算術が全国に普及し、算術家と呼ばれる者たちが現れて各地で塾を開き、その門下の者たちがさらに算術を世に広めた。
 算術書も多く出版され、中には長年にわたって民衆に親しまれ、版を重ねるものもある。
 そしていつしか、神社に奉納される絵馬に、算術に関するものが現れた。』

 「算額奉納」という風習は、歴史上の事実です。

『円図、三角図、菱形、数多の多角形。それら図形の中に、幾つも描かれた内接円に接線。
 辺の長さ、円の面積、升の体積。方陣に円陣。複雑な加減乗除、開平方。』

 ときは、徳川四代将軍家綱の治世の頃です。このあとは、有名な五代将軍綱吉、そして、元禄時代へと、江戸文化が華咲くことになります。文化は、歌舞音曲、絵画などの芸術に限らず、実は、数学の分野でも、世界に類を見ない発展を遂げていたのです。日本史の教科書で有名な和算関孝和もこの時代の人です。ひょっとすると、算術なるものが、日本で、一番、流行った時代なのかもしれません。私は、数学なるものが苦手で、故に、全く興味がありませんが、この小説で、日本における算術と言うものを初めて知りました。と、横を見ると、本箱に、「人間の建設」(小林秀雄岡潔)、「春宵十話」(岡潔)、日本を代表する数学者の随筆がありました。「数学は、論理学にあらず、みずからの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術である。(岡潔)」

この小説は、新しいジャンルの新しい人物をフォーカスした新しい歴史小説です。是非、若い人たちが、この小説を読んで、映画を見て、何かを見つけ出して欲しいと思います。