「文藝春秋」が面白くない

「文藝春秋」が面白くない

 

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R175を北上していくと(最近、R175マニアかな?)、思わぬ出会いがあります。

 

先日、西脇でのランチのあと、細君の要望で、ご朱印収集のため、柏原(かいばら)八幡宮まで、足を延ばしました。ここ、西脇からR175からR176を、約30分、北上。すると、古びた城下町と思われる街並みを発見。

 

ここは、何?ここは、織田家の城下町「柏原」らしい。そもそも、織田信長の弟である信包(のぶかね)から始まり、一旦は、廃絶されるが、信長の次男の信雄(のぶかつ)から数えて4代目が、再び、入封されて、明治の廃藩置県まで、織田家が、この地を治めたとのこと。

 

へぇ~~~~!こんなところに(失礼ですが、丹波の山のなか)、織田家の子孫が・・・。

 

丹波市役所柏原支所(巻頭のスケッチ)で、「かいばらおさんぽマップ」をいただきましたが、えっ、お洒落なお店があるじゃないですか。よ~し、今度は、柏原を目的地として、「ぶらり~」しよう・・・と思ってから、まだ、行けていません。

 

余談は、このくらいにして、「文藝春秋」が面白くない。って、何が面白くないかというと、ぼくは、毎月「文藝春秋」を購読して、うん十年。まず、ページを開いて、巻頭随筆を楽しみにしています。

 

この巻頭随筆は、文藝春秋の創刊、大正12年からの、伝統ある随筆です。

 

かの有名なる、芥川龍之介の晩年の随筆「侏儒(しゅじゅ)の言葉」(写真は、初版本の復刻版・・・本箱の隅にあったので、ご紹介します。)から、数十年、ぼくが、文藝春秋を読み始めたころは、司馬遼太郎「この国のかたち」でした。

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つぎは、阿川弘之「葭(よし)の髄から」、ここまでは、作家による文章の極みを感じさせる名随筆でした。

 

ちょっと、毛色が変わって立花隆「日本再生」、まあまあ、反骨の精神のあるジャーナリストとして、プリンシプルを感じさせる随筆でしたが・・・・。ここまでです。

 

失礼ながら、藤原正彦さんの「古風堂々」は、やや品性に欠けるところがあります。藤原正彦さんは著名な数学者であり、新田次郎のご子息であり、「国家の品格」の著者ですが、「品格」はどこに行ったのでしょうか?

 

数学者と言えば、日本数学史上最大の数学者といわれた岡潔の「春宵十話」は、品位あふれる名随筆でしたが・・・。

 

ぼくは、だからといって、文藝春秋の購読を辞めるつもりはないのですが、藤原先生・・・77歳でお元気なのはわかりましたから、受け狙いの下ネタまがいはいいです。もっと、品格のある随筆をお願いします。

 

それが、今週の「ぼくの主張」です。