「月の満ち欠け」

「月の満ち欠け」
佐藤正午
2019年10月4日第一刷
岩波文庫

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気が付きましたか?何がって?

文庫の名前が、「岩波文庫」ではなく、「岩波文庫的」なのです。これって、パロディ。そうなのです。岩波書店が、と言うか、岩波文庫の編集者が、こんなパロディをやるのか、って、たぶん、ぼくの記憶にはないし、調べてみても、初めてらしいです。パロディは徹底しており、装丁も岩波文庫にそっくりさん。なかなか、傑作ですね。

ここまでのお話で、何のことだか分からないという方に、ぼくからの少し説明。

岩波文庫は、日本で初めての文庫本であり、そのラインナップは、歴史的な著作物に限定されており、例えば、いま、ぼくが読んでいる本でいえば、鈴木大拙の「東洋的な見方」が岩波文庫です。鈴木大拙については、また、別に書きます。わかりやすく言えば要するに、この本は、直木賞受賞作ですが、岩波文庫のラインナップに並ぶには、ちょっと、そぐわない(佐藤正午さんには、失礼ですが、)ものなのです。

ところで、何故、「岩波文庫的」という冠で出版したのか?もともと、「月の満ち欠け」の単行本が岩波書店から出版されていたこと。佐藤正午さんが、たぶん、文庫にするなら「岩波文庫」でというリクエストをギャグったのでは?でも、これに編集者が悪乗りしたということではないでしょうか。しかし、本当の本好きで「岩波文庫」のファンの方に対しては、ネガティブな印象を与えたのではないかな?

でも、ぼくは、こういったパロディも、「あり」だと思います。出版不況が言われて久しいですが、単行本に固執せずに、早々に、コスパのよい文庫本にして、多くの読者に提供するのがベターだと思いますよ。だって、文庫本でも税込み935円ですから・・・ね。

さて、「月の満ち欠け」。二年前の直木賞受賞作です。

人は、死んだら、生まれ変われるのでしょうか?それも、前世の記憶を引き継いで。ときどき、初めて訪れた土地で、なんとなく、懐かしさを感じるときがあります。それは、前世で、その土地に来たことがあるからです。と、いう説もあるらしいです。ぼくは、そんな経験は、たぶん、ないので、ぼくの前世は、人ではないのかもしれません。

『「神様がね、この世に誕生した最初の男女に二種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木のように、死んでも種子を残す、自分は死んでも、子孫を残す道。もうひとつは、月のように、死んでも何回も生まれ変わる道。そういう伝説がある。死の起源をめぐる有名な伝説。」』

 
妊娠中に、予知夢を見る。生まれてくる子が、自分の名前は「瑠璃」と予言する。そして、「瑠璃」と名付ける。「瑠璃」が十歳のころ、原因不明の高熱を出すが、何事もなく、回復した後、聞いたこともない昔の歌を口ずさむなど奇妙な行動をとりだす。十歳の女の子が、初老の男を追いかけだす。その男は、過去に「瑠璃」という女性と恋をしていた。合言葉は、「瑠璃も波留も照らせば光る。」女の子は、その合言葉を知っていた。

そういった出来事が、3人の「瑠璃」という女の子に。これは、ミステリー小説です。
(参考文献)「前世を記憶する子どもたち」(イアン・スティーブンソン・笠原敏雄訳)

もし、突然、十歳の女の子に名前を呼ばれたら、どうしよう。こわいですね。あっ、問題なし。ぼくには、そんな恋愛経験はありません。自虐的に、よかった