ロシア小説を読み漁ったのは、高校のとき。オードリーヘップバーン主演の「戦争と平和」のリバイバルを文化劇場で観てからだった・・・と思う。
トルストイの「戦争と平和」「アンナ・カレーリナ」「復活」、ツルゲーネフの「父と子」、チェーホフの「かもめ」、プーシキン、ゴーゴリなど、そして「ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「白痴」「罪と罰」。まあ、ポピュラーな作品だけですが・・・結構、はまった記憶がありますが、いまは、何にも覚えていません。辛うじて、作者と題名が言えるぐらい・・・言えないものもある。
そう考えると、読書って、「なんなんだろう?」という「疑問」にぶち当たります。これは、何度も何度も、当たっていますが。結局、「読書とは、時間つぶしではないか」
人間は、忘却の生き物です。
忘却は神が人間に与えた恩寵です。
学習の結果、忘れて、忘れて、最後に残ったのが知識とも言います。
と、すると、読書は、やはり、「時間つぶし」か?そうすると、ぼくは、66年の人生で、どれだけ「時間つぶし」をしていたのか?おそらく、他の人と比べると、とうでもなく長い時間だと思います。
この本は、小説ではありません。なんだろう、評論本なのかな?とにかく、新しいジャンルの試みかもしれません。流通科学大学図書館の新刊コーナーで見つけました。新刊本をよそも名が借りたら、学生はどうするのか?まあ、一応、流通科学大学の図書館メンバーになっているからいいか。
と、話を戻します、なんと!「未読座談会」なのです。4人の識者は、「罪と罰」を読んだことがない、読んだかもしれないが忘れた、NHKで影絵は見たことがある。なんとも心細い4人が、「罪と罰」のストーリーを創造する・・・推理するという奇想天外な試みなのです。
ただし、何のヒントもなしにでは、お話にならないので、ランダムに1ページ程度の朗読を聞いて、そこから、想像を膨らませるのです。これを、数回繰り返します。
『本当に「罪と罰」を読まずに読書会をしたのだが、「読む」という言葉には、「文字を読む」という使い方のほかに、「先を読む」という道への推測をこめた使い方がある。
このふたつを組み合わせれば、「読まずに読む」という、一見、矛盾しているようなフレーズが可能になる。「本を読まずに、本の内容を推しはかる」という意味である。』
この試み、ちょっと、面白いかも。図書館の読書会などで、チャレンジしてはどうでしょうか?子供たちの創造力の育成になるとともに、ゲームとしてもいいのではないでしょうか?
最後に、四人は、「罪と罰」を読んで、読後座談会もやっています。さて、未読座談会と読後座談会の顛末はどうだったのでしょうか?