「文鳥」

文鳥

夏目漱石

平成19年2月15日70刷

新潮文庫

 

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向日葵 小野市ひまわりの丘公園に行きました。以前から、175号を走っていて、行ってみたいと思っていました。ちょうど、8月1日まで、切り花自由キャンペーン。もう、向日葵は見ごろが終わりでしたが、20本ぐらい頂戴して、急いで帰宅。

萎れかけていましたが、見事、復活しました。いっときは、向日葵が楽しめます。

 

 日経新聞朝刊の新聞小説「ミチクサ先生」の連載が終わりました。作者は、伊集院静さん。ミチクサ先生とは、明治の文豪夏目漱石です。夏目漱石の生涯をテーマにした小説。

 

漱石を主人公にした小説は、これまでも、数冊、読んだことがありますが、この小説は、ちょっと、コミカルで人間味のある漱石を描いているので、今までのものとは、趣向が違うように思います。

 

このブログでは、漱石について、なんども書いています。また、また、自慢ですが、ぼくの愛蔵している「漱石全集」(昭和3年初版)・・・古本ですが。これは、ガラスケースの本箱に、大事に、保管しているので、漱石は、別途、文庫本を読んでいます。

 

漱石全集刊行会が出版した「漱石全集」は、大正、昭和時代に、様々なものがあり、左程、財産的な価値はありません。ただし、ぼくの愛蔵している「漱石全集」は、就職祝いに、祖父の書斎にあったものを所望したので、ぼくにとっては、違った意味で価値があるものです。

 

どのような価値か?というと、ご先祖様の数人が読んだ痕跡が、巻末に、記されています。たとえば、「三四郎」の巻末には、読了日と「ストレイシープ、迷える子羊」という書き込みがあり、たぶん、祖父か、祖母か、若しくは、大叔父か、大叔母か、なのでしょう。

 

ぼく個人の歴史的価値は、ぼくの代で終わって、この本は、誰かに処分される運命にあるのだと思うと、いっその事、ぼくが元気なうちに処分した方がいいのか?なんてことも、考えるようになったお年頃です。

 

もう一つ、ぼくの宝物があるのですが、また別の機会に・・・。

 

余談は、これぐらいにして、「ミチクサ先生」を読了後、久しぶりに漱石を読みたくなって、短編「文鳥」をチョイスしました。「文鳥」は、漱石自身が、鈴木三重吉からもらい受けた『文鳥』を題材にした小作品です。

 

なぜ、「文鳥」を・・・?「ミチクサ先生」は、漱石がモチーフなので、漱石の生活感のある随筆?がいいのかな?と思ったのです。

 

『自分は又籠の傍へしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二三度竪横に向け直した。やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留まり木の上を抜け出した。と思うと綺麗な足の爪が半分程餌壺の縁から後へ出た。小指を掛けてもすぐ引っ繰り返りそうな餌壺は釣鐘の様に静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精の様な気がした。』

 

文鳥を「淡雪の精」といい、このあと、文鳥が、餌の粟を食べる様子を、「菫(すみれ)程な小さな人が、黄金色の槌で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけ様に敲いている様な気がする。」と表現しています。

 

漱石独特の品のある表現です。ぼくは、この漱石独特の品のある文章が好きなのです。たぶん、多くの人が、そうなのだと思います。

 

文鳥は、女中が餌やりを忘れたために死んでしまいます。えっ、漱石は、文鳥の世話を女中に任せていたの?案外、ずぼらな人だったのですね。