「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻」(つづき)

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻」(つづき)
塩野 七生
新潮文庫
令和2年1月1日発行

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コロナ禍で、元町商店街も人がいません。人出が戻るのは、何時になるのでしょう。紫外線量が増加すれば、コロナが不活発化するとの情報もありますが・・・。


先週のこと。って、早いね。外出自粛をしていたら、刺激が少ないので、時間が矢のように過ぎていきます。


「やばいよ。やばいよ。」


元に戻すと、先週は余談が長くなって、「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻」の読書雑感の紙面がなくなったので、次回に先送りしました。覚えていますか?そこで、つづきです。


「皇帝フリードリッヒ」って、誰ですか?神聖ローマ帝国の皇帝です。いつ頃の人ですか?中世ヨーロッパ、1200年頃の人です。日本では、「いいくに作ろう鎌倉幕府」の頃です。


上巻は、1194年、フリードリッヒの誕生から1237年(43才)の第二次ロンバルディア同盟戦役までのお話です。ロンバルディア同盟とは、北イタリアのコムーネ(ミラノ、ベネチアなどの都市国家)の皇帝に対抗するための共同体らしいです。


これを理解するには、中世ヨーロッパの統治地図を理解しなければなりません。ぼくも、この本を読むまでは、まったく知りませんでした。簡単に言うと、日本の戦国時代と同じで封建領主の乱立で統一国家というものはなかったらしいです。


そのなかでも、大きく分けて、イギリス王、フランス王、スペイン王ドイツ王シチリア王(南イタリアシチリア)が、封建領主の代表者みたいなものだったらしいです。そのうち、ドイツ王シチリア王の代表が、神聖ローマ帝国皇帝と称していたようです。


さらに、北イタリアは、コムーネという都市国家が林立しており、領主はいない都市国家、日本の堺みたいなものだったようです。そして、もっとも重要な権力者として、ドイツ王シチリア王に挟まれた中央イタリアにローマ法王がいたわけです。


さて、ぼくにとって、この本の上巻でのフリードリッヒの名場面は、二つです。


一つは、無血十字軍。十字軍とは、何のために、どこに行ったのか?そうです。聖地エルサレムを異教徒であるイスラム教徒から奪回するために、イスラム世界であったエルサレムに行ったキリスト教徒の集団です。


エルサレムという都市は、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてユダヤ教徒の共通の聖地です。なぜ、そうなのかは、また、別に、勉強してください。しかし、この都市の歴史が、現代でもパレスチナ問題などで続いているのです。これは、日本人には、理解できないことです。


フリードリッヒは、第六次十字軍を指揮して、エルサレムを目指します。そして、なんと、武力を背景とした外交交渉でエルサレムキリスト教徒の地を確保したのです。しかし、奇妙なことに、血を流さずに奪還したことにローマ法王の不興を買うことになります。


二つ目は、1231年メルフィ憲章の発布です。メルフィ憲章は、封建国家から法治国家への転換を目指したものだったようです。しかし、その内容の一つに、政教分離の項目があった。これが、またしても、ローマ法王の不興を買うことになります。


どうも、ことごとく、フリードリッヒとローマ法王の衝突は、続くことになるようです。さて、二人の関係はどうなるのか?さて、下巻を読了するのは、コロナ明けになるかもしれません。中世ヨーロッパの面白歴史小説のこの本。乞うご期待!