「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻」

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻」
塩野 七生
新潮文庫
令和2年1月1日発行

f:id:tetu-eng:20200524181737j:plain

兵庫県は、緊急事態宣言が解除されて、新しい生活様式の日常がスタートします。とはいっても、まだ、バスターミナルには、人はチラホラです。


日経新聞夕刊、明日の話題(JR九州会長 唐地恒二)に面白い小話が掲載されていたので、息の詰まる生活に笑いの風を送ります。

 

『テーマは、18歳と81歳の違い。
道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳。心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。恋に溺れるのが18歳、風呂でおぼれるのが81歳。ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳。恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳。自分探しをしているのが18歳、みんなが自分を探しているのが81歳。東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳。社会に旅立つのが18歳、あの世に旅立つのが81歳。早く「20歳」になりたいと思うのが18歳、できれば「20歳」に戻りたいと思うのが81歳。「嵐」というと松本潤を思い出すのが18歳、鞍馬天狗嵐寛寿郎を思い出すのが81歳。
出典はお笑い長寿番組「笑点」の大喜利ネタらしい。』

 
これを読んで、細君と二人で大笑いです。でも、よく考えてみると、81歳の方が近い年齢になってきました。そう思うと、笑ってもいられなくなります。やだやだ、年を取ると「笑い」の対象になってしまうのですね。でも、可笑しい。


 笑った後は、中世ヨーロッパのお話。「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻」の読書雑感は、すでに、ここに書きました。おおむね、2か月の間、フリードリッヒ二世とお付き合いをして、漸く、「下巻」を読了しました。


 「漸く」というのは、やや語弊があります。だんだんと、フリードリッヒ二世と別れるのが寂しくなって、故意に読むペースをゆっくりにしていました。ぼくは、ときどき、面白い小説にはまってしまうと、読了するのを惜しむことがあります。フリードリッヒ二世も、その一冊です。


 さて、この本を読了して得たことは、宗教の恐ろしさです。現代は、政教分離というルールは普遍的なイデオロギーですが、中世ヨーロッパにおいて、このルールの確立を目指したフリードリッヒ二世は、おそろしいことですが、歴史から抹殺されそうになったということです。


 『すべては大帝コンスタンティヌスから始まる』 ローマ帝国最後の皇帝は、紀元313年にキリスト教を公認して、ローマ帝国の領土をローマ法王に贈るという「寄進書」を残したらしいです。が、この寄進書は、1440年にローマ法王庁の誰かが捏造したものであることが実証されました。


 フリードリッヒ二世の1200年代は、まだ、ローマ法王が領土支配権を有していると思われていました。しかし、フリードリッヒ二世は、「法王は太陽で皇帝は月」と考えるローマ法王に反発し、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」という考えで、「法王は神のことを、皇帝は世俗のことを、」今でいう「政教分離」を目指したらしいです。


 そのため、ローマ法王とフリードリッヒ二世との確執は、絶対的なものとなり、その確執は、フリードリッヒ二世没後、彼の後継者らとも続いていきました。このころ、異端裁判など皇帝に対抗する宗教裁判が始まるのです。それから、やがて、時代はルネサンスへと動いていきます。

 歴史って、ほんとうに、面白いですね。