「夢十夜」

夢十夜

夏目漱石

新潮文庫

昭和51年7月30日 発行

 

「北野の洋館」 久しぶりに北野の異人館街をブラブラ。この界隈、何年ぶりだろうか?そう、北野天満宮に行って以来。そのとき、風見鶏の館の前で、大道芸を披露していたが、今は、コロナの影響で、まだまだ、賑わいは戻っていない。

 

 

今年も、もう、10月。ぼくの誕生月が遠慮なくやってきました。六十代最後の年になります。六十代最後というと、何だか、終焉という感じで、ネガティブなイメージですね。むしろ、七十代最初の年の方が、ポジティブですね。

 

そんな風に思うのは、ぼくだけでしょうか?

 

今年は、様々な体の不調が連続しています。いまは、朝方の指の強張り。1時間ぐらいすると復調しますが。原因は、へバーデン結節とばね指らしいです。これは、これから、現状維持なのか?悪化するのか?良化するのか?

 

もう一つ、2~3日前ぐらいから、右後頭部の頭痛で、夜中に目が覚めます。やり過ごすために、夕食後、痛み止めを服用していますが、これは、原因不明。心当たりがありません。1~2週間は、経過観察ですね。

 

どれもこれも、加齢と言ってしまえば、そういうことかも。これからは、五体痛いとこなしは、贅沢な望みなのかもしれません。いよいよ、正真正銘の老人になってきたのかもしれません。ちょうど、その変わり目かな?

 

そして、明け方、夢を見るのです。起き抜けには、なぜ、夢に中に彼が現れたのか?と思うこともあるのですが、すぐに、忘れてしまいます。

 

そこで、これも、久しぶりに、夏目漱石の「夢十夜」を読みました。

 

数年に1回、いや、1年に1回は、なぜか、夏目漱石に回帰してきます。「三四郎」「それから」「門」の前期三部作は、もう何回読んだろうか?たぶん、これからも、ぼくの漱石LOVEは、変わらないと思うし、死の床にあっても、最後まで、枕もとに置いておくのは「吾輩は猫である」かも。

 

さて、「夢十夜」は、タイトルのとおり、「こんな夢を見た。」の書き出しの十夜の夢の話です。

 

『こんな夢を見た。

腕組みをして枕元に座っていると、仰向けに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真っ白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。到底死にそうには見えない。然し女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確かにこれは死ぬなとと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗きこむ様にして聞いてみた。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと目を開けた。』

 

 

夢の中の話である。死にそうに見えない女は死ぬのか、死なないのか?なんとも、夢であればありそうな様です。研究者は、自然主義・リアリズムに対して、虚構と想像力によって構築された世界・・・などと、難しい論評をするが、早い話、「夢」とは、そういうものである。

 

夢十夜」は、漱石の短編小説でもなく、随筆でもない、「小品」と呼ばれるジャンルの一つです。