「三四郎」

三四郎

夏目漱石

新潮文庫

平成14年9月20日第百二十四刷

 

「金の湯」

西宮でランチの後、有馬街道を走行して帰宅途中、有馬温泉の標識を見て、寄り道をしました。

「金の湯」で足湯に浸かって、有馬の街をブラリ。

久しぶりです。

平日にもかかわらず、観光客が大勢。

うむ、言葉が、日本語じゃない・・・中国か?台湾か?韓国か?

インバウンドが、有馬温泉にも押し寄せています。

 

 

さて、兵庫県民なので、この話題に触れないわけにはいきません。

 

今や、日本全国で最大のスキャンダル。兵庫県知事のパワハラ問題です。

 

もう、その報道内容は、皆さんの方が、ずっと詳しいと思いますので、ぼくの感想を書きます。

 

ぼくの経験から、ハラスメントの行為者は、その行為を認めることは、ほとんどありません。

 

一方、被害者は、ひどい場合には、メンタルの不調を訴えて、長期の休暇を取得するケースがあります。

 

要するに、行為者と被害者に、認識のずれがあるというのがハラスメントの難しさだと思います。

 

そして、ハラスメント問題は、今、日本の社会で「ひとつの病巣」にもなっているようです。

 

ただし、いつの時代でも、人間が集まり、群ができたら、必ず、発生する「人間の性」ではないでしょうか?

 

それでは、この病巣に対する処方箋はなんでしょうか?ぼくは、「思いやり」という意識の醸成だと思います。

 

やはり、子供のころからの教育がすべてではないでしょうか?

 

どのような教育か?具体的には、いろんな本を読んで、違う世界の疑似体験をすることです。遠回りのようですが、案外、近道かも。

 

ということで、結局は、読書雑感。

 

さて、この本を読みなさい。夏目漱石の元祖青春小説「三四郎」です。

 

熊本から上京して、大学生活を始める小川三四郎。学問、恋愛、友情など。青年期に抱く、希望、失恋、失望など、三四郎の「こころの揺れ」が描かれています。

 

この「こころの揺れ」がこころの発育に大切ではないでしょうか?

 

『迷える子(ストレイ シープ)という言葉は解った様でもある。又解らない様でもある。解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。

「私そんなに生意気に見えますか」

その調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれば好いと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。』

 

 

小説は、漱石の前期三部作といわれる「それから」「門」へと続きます。