「湿地帯」

湿地帯

「湿地帯」
宮尾 登美子
新潮社
2007年8月25日発行
1900円(神戸市立西図書館)

実は、宮尾登美子さんの小説を初めて読みました。以前から読んでみたいと思っていましたが、たまたま、図書館の新刊本コーナーで、この本を見つけたので、早速、借りてみました。この小説のみで、文壇の重鎮である宮尾さんの小説について、あれこれ評価することは失礼だと思いますが、率直に言って、この小説は、宮尾さんの名誉のためにも、単行本にするべきではなかったと思います。
この小説は、宮尾さんが、「連」で女流新人賞を受賞した後、高知新聞(宮尾さんは、高知のご出身)の企画で昭和39年に同新聞に連載したものですが、宮尾さんご自身が、「あとがき」に「自分でもいささか恥ずかしい作品」と内心を吐露されています。

『山峡の春は遅い。
江川崎駅を十六時十四分に発した窪川行き国鉄バスの最前列に腰掛けて、小杉啓はまだコートの衿を立てたままでいる。
土佐はあたたかいと聞いていたのに、谷底にしんと横たわった江川崎の町を取り巻く屏風のような山からは、まだどことなく冬のきびしさをひそませている無情な風がおろしてくる。』

小説は、小杉啓が、国立衛生研究所の薬務技官から、高知県薬事課長への赴任の途中、郷里の宇和島に立ち寄り、宇和島から高知までの国鉄バス内でのある女性との出会いから始まります。「江川崎」は、高知県愛媛県の県境近くに位置する町です。この小説が連載された当時は、「江川崎」から「窪川」までは、予土線が全通しておらずに、国鉄バスが輸送手段だったようです。
さて、この小説は、サスペンス小説と言っていいのでしょうか?2人の「変死」が、小説全体の「謎」として潜んでいます。1人は、小杉の仕事と関係のある薬局の女性店主の「変死」。もう1人は、小杉が思いを寄せる女性の夫であるK大学の教授の「変死」。この2人の「変死」の「謎」が、「江川崎」で解明されることとなります。
そして、2人の「変死」の伏線として、小杉薬事課長が解明に取り組む高知県の薬局業者の販売する薬価問題があります。そこでは、高知県薬局業者組合の幹部からの行政による薬価への指導強化の要請、その組合幹部と薬品卸売業者との裏取引、また、役所も取り込んだ不正疑惑など、当時の薬価問題が小説として書かれています。

『薬の仕入れについては種々あって、メーカー品なら製造元(C価)から中間業者(B価)を経て小売業者(A価)に卸される。
高知県の場合、中間業者には大手六社があり、この中間卸業者と小売業者とが協定して県内におけるA価を定めた。
むろん、薬事課の指導も仰ぎ、業者からも薬価委員を選んで充分検討しての上のことである。
何故なら、高知県の僻地性は単に輸送のコスト高になるだけでなく、それに伴って人件費その他の諸経費が嵩み、大都市などにみられる値引き販売をやるとたちまちに倒産者がでる、という理由からだった。』

小説自体は、読みやすくて、短時間で読み下すことができますが、なんと言っても、小説自体に深みがないため、読了後に、「ああ、面白かった。」という感想がもてないのです。最初にも書いたように、宮尾さんの初期の作品、それも、新聞連載ということで、読みやすさに徹したのかもしれません。この小説は、残念でしたが、この機会に、宮尾さんの代表作の「連」、「櫂」、「一絃の琴」などを読んでみることとします。