「おとうと」

おとうと

「おとうと」
幸田 文
新潮文庫
昭和43年3月30日発行
平成20年3月29日六十九刷
400円

『「ご臨終です。お悼み申し上げます。四時十分でした。」
こんな、そぼんとした、これが臨終だろうか。死んだろうか。見るとみんなが立っていて、母だけに椅子があえられていた。父は合掌し、母は祈りの姿勢をしてい、誰も動かず、ざわめきもあり、しんともしていた。これが死なのだろうか。こんな手軽なことで。』

また、電車のなかで泣いてしまいました。「碧郎さん」が、結核の闘病生活の果てに、ついに、死んでしまいます。姉の「げん」の懸命の介護も、結核という病魔には勝てませんでした。
幸田文は、ご存知のとおり幸田露伴の娘さんです。この「おとうと」という小説は、中学校の教科書で一部を読んだ記憶があります。平易な文章で、幸田文の「やさしさ」がにじみ出るような作品です。でも、小説の主人公の十七歳の「げん」は、弟のために、何故に、これほどまで弟をいたわり、面倒をみることができるのだろうか?これが、読了後の強く感じた感想です。
姉の「げん」と弟の「碧郎さん」は、三つ違いの姉弟です。小説家の父親。リュウマチで家事ができない姉弟にとっては、なさぬ仲の母親。4人暮しの家庭。

『不和な両親を戴いていることは、子供たちにとって随分な負担である。ことにそれが夫にとって二度目の妻であり、子たちにとっては継母であり、その継母はまた(コシツ)の病気もちであり、さらに経済状態がおもしろくないとこう悪条件が揃っていては、二進も三進も行きはしない。』

「げん」が「碧郎さん」をいたわるのは、こんな家庭事情がもとにあるのであろう。三つ違いぐらいであれば、左程、年の差がないようにも思うが、姉というものは、弟に対しても、余程、母性本能が強くなるものなのだろうか?いつの間にか、不良と呼ばれ、学校もほどほどで、遊びに明け暮れる「碧郎さん」。できの悪い弟に情が移るのであろうか?そこうしていると、「碧郎さん」は、結核を患ってしまった。
私には、小学校2年か3年で亡くなった叔母さんがいます。その叔母さんは、結核病棟の看護婦さんでした。あとで、聞いた話ですが、そこで、結核に罹患してしまったということです。昭和30年代は、まだ、結核は「生き死に」の病気だったのです。この小説は、昭和31年に婦人公論に発表された作品なので、時代設定は、おそらく戦後間もないころだと思います。

『太い川が流れている。川に沿って葉桜の土手が長く道をのべている。こまかい雨が川面にも桜の葉にも土手の砂利にも音もなく降りかかっている。ときどき川の方から微かに風を吹きあげてくるので、雨と葉っぱは煽られて斜になるが、すぐ又まっすぐになる。ずっと見通す土手には点々と傘(カラカサ)・洋傘(コウモリガサ)が続いて、みな向こうむきに行く。朝はまだ早く、通学の学生と勤め人が村から町へ向けて出かけて行くのである。』

太い川は、隅田川。この小説の主題と裏腹に、小説全体を暗く感じさせないのは、幸田文の風景描写の爽やかさにあります。