「銀河鉄道の父」

銀河鉄道の父」

門井慶喜

講談社文庫

2020年4月15日初版発行

 

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「そごう西神」の閉店(8月末)まで、あと、2か月です。神戸市営地下鉄の起終点駅、西神ニュータウンの中心。デパートがなくなるのは、とても、淋しいですね。それなら、住民がもっと利用すればよかったじゃないの。といっても、あとの祭りです。

 

後釜は、まだ、決まっていないようです。阪急は、早々に辞退したようだし、希望としては、大丸に来てほしいのですが・・・。コロナ禍もあり、いっときは、駅前ビルが、空ビルになって、地方都市のシャッター通りの風景になるということです。

 

神戸市は、この場所を神戸市の西の拠点とする構想で、区役所の新設、図書館などの文化施設の新設に着手したというのに、民間が、そっぽを向いているのは、商工会議所さん、頑張ってというほかありません。

 

そうはいっても、このニュータウンも、ご多分に漏れず、高齢化が進んで、年金生活者の街になってきました。偶数月の15日は、銀行は行列ができて三蜜どころではありません。デパートは、高齢者の格好の憩いの場だったのですが・・・ただし、消費にはつながりませんが。

 

この夏、いい話はないですね。

 

でも、面白い本に出合いました。

 

「The Night of the Milky Way Train」と「The Restaurant with Many Order」を読んだところで、「銀河鉄道の父」です。

 

正次郎の長男賢治は、そう、宮沢賢治です。主役は、宮沢賢治の父正次郎。岩手花巻で質屋業を営む正次郎には、長男賢治の外に長女トシ、次女シゲ、次男清六、三女クニの5人の子供もがいた。

 

長女トシは、賢治よりも学業優秀で、日本女子大学校を卒業後、故郷で教師の職についている。正次郎は、トシが男ならよかったと思うほどであったらしい。

 

なお、賢治も小学校、中学校を首席で卒業し、盛岡農林高等学校も優秀な成績で卒業している。が、賢治には、質屋を継ぐ気持ちはない。店番をさせても、ろくに、役に立たない始末であった。

 

正次郎は、そんな賢治や子供たちに、とても寛大で優しい父親だった。賢治は、病気しがちな体質だったようで、その都度、正次郎は、妻のイチにも、看護婦にも任せず、自ら、病院へ泊まり込んで看病するような父親だった。

 

長女トシが結核で東京の帝大病院に入院したときは、そんな父親を見ていた賢治が名乗り出て、賢治と母イチが、通いで看病した。

 

賢治が、文筆にはまり込んだのは、どうも、トシの入院の頃ではないかと思う。そのあたりについては、この小説には明確にしていない。その後、賢治は、日蓮宗に傾倒して、東京で一人暮らしをするが、7か月後、花巻に帰ってきたときには、トランクいっぱいの原稿を抱えていたそうだ。

 

トシは、再び、結果を再発して、亡くなる。このころ、賢治の童話の最大の理解者であったのは、妹のトシだった。賢治は、トシに読み聞かせるために、童話を書いた。もちろん、正次郎も、賢治の童話のファンでした。

 

やがて、賢治も、結核を患い、37歳で、その生涯を閉じる。賢治の詩歌、童話が、世に出たのは、死後2年を経てからであった。

 

雨ニモマケズ」は、賢治が、病中に、手帖にメモのように書きなぐったらしい。

 

この小説は、賢治と正次郎の親子の物語です。正次郎のように子供を信じて、見守り続ける父親。ぼくは、そんな父親だったか?やや、反省する読了感でした。