「喜嶋先生の静かな世界」

tetu-eng2013-12-08

「喜嶋先生の静かな世界」
 森 博嗣
 講談社文庫
 2013年10月16日発行
 690円(税別)

 森 博嗣さんの本は、以前、「銀河不動産の超越」という不思議な建築物のミステリーを読んだことがあります。それ以後、気にはなっていたのですが、「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」「Gシリーズ」など連続ミステリーが多いので、嵌ってしまうと厄介だなっと思って、あえて、避けていました。連続小説を読み始めると、他の作家の小説が読めなくなって、多様性がなくなるのに抵抗があります。考えてみれば、西村京太郎さんなどサスペンス小説は、同一主人公による連作ですよね。それ全部読もうと考えると重荷になるのですよね。つまみ食いでもいいんですが・・・・。僕のキャラかな?
 森 博嗣さんは、ちょっと、変わった経歴です。名古屋大学の工学部建築学科の博士課程を修了されて、助教授となり、特に、構造力学を専門にされていたようです。作家デビューされたのが、四十歳ぐらいなので、それから、十五年で、すごい量の作品を書いています。ほとんど、毎月1冊ペースですね。まさに、多作の作家です。作風は、2冊目なので、偉そうなことは言えませんが、いわゆる理科系の文章です。センテンスが短いので、非常に、読みやすいのが特徴でしょうか。純文学ではないので、心理描写などがストレートな表現になっているのは、物足らない点ですね。逆に、文章をこねくり回していないので、好感が持てるといった感じでしょうか?
 この小説は、自叙伝的小説だそうです。主人公は「僕」。「僕」は、橋場。「僕」の大学院の指導教官が「喜嶋先生」です。小説の内容は、「僕」の研究指導、論文指導などを担当する「喜嶋先生」との回想です。

『これはすべてのことにいえると思う。小学校から高校、そして大学の三年生まで、とにかく、課題というのは常に与えられた。僕たちは目に前にあるものに取り組めば良かった。そのときには、気づかなかったけれど、それは本当に簡単なことなのだ。テーブルに並んだ料理を食べるくらい簡単だ。でも、その問題を見つけること、取り組む課題を探すことは、それよりもずっと難しい。特に、簡単にできるものを選ぶ、といった選択ではなく、自分に役に立つものを見つけようとすると、無駄にならないよう妥協しなくなる分、さらにハードルが上がる。でも、研究という行為の本当の苦労はこういった作業にある、ということも、その後、少しずつだけれどわかってきた。喜嶋先生はこのとき、僕たちにそれを教えようとしたのだろう。』

 確かに、仕事でも、取り組む課題を探すことは、与えられた課題に取り組むことより、ずっと、難しい。『これはすべてのことにいえると思う。』この小説には、大学の研究者という立場から、一般の哲学的なメッソドがちりばめられている。しかも、難しい言葉ではなく平易な言葉で。失礼ながら、ノーベル賞を受賞するような一流の科学者のエッセーは、三流の僕には、難解である。しかし、三流の僕でも解り易いのがいい。喜嶋先生は、そういった意味では、一流の科学者です。

『学問には王道しかない。それは、考えれば考えるほど、人間の美しい生き方を言い表していると思う。美しいというのは、そういう姿勢を示す言葉だ。考えるだけで涙が出るほど、身震いするほど、ただただ美しい。悲しいものでもなく、楽しいものでもなく、純粋に美しいのだと感じる。そんな道が王道なのだ。
 いかにも、それは喜嶋先生の生き方を象徴しているように思えたし、それに、僕が、その後、研究者になれたのも、たぶん、この一言のおかげだった、といっても過言ではない。
 どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」と僕は考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道の方だった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれたのだ。』

 是非、一読をお薦めします。